37歳の女の友情は、中学生のそれと同じだった

「あんたがボケても、頭を一週間洗わなくなる時が来ても大好き」

親友から誕生日に送られてきたLINEだ。
なんでこの内容?と首をひねった。
このセンス、、
しかもその前に、「今日君に伝えたい言葉が今降りてきた」とご丁寧に一言添えられた上で送られてきた言葉だ。

この理解不能さが面白くて、
私と彼女の友情が続いた理由の1つだと思う。

出会ってから25年。
人生で1番長い期間お互いの人生を見つめあってきた他人だ。

でも、ここ10年はちょっとだけ距離ができていた。

地元を離れてたこともあり、会えるのも1年に1回。

なんとなく、お互いを理解しあえない気がしていたのかもしれない。

それでも、辛い時に泣きつける存在ではあった。

ちょうど1年くらい前。
LINEで25年ぶりに喧嘩した。
出会ってすぐの中学生の頃、毎日喧嘩していた時があった。
私達は、その修羅場を越えて親友と呼べる存在になった。
その時ぶりの喧嘩だった。

36歳になって、こんな喧嘩するか?というくらいの、LINEでの長文対長文の大喧嘩だった。

結局お互い謝って元どおりになった。

私は友達づきあいが苦手で、女子にも笑えるほど好かれない学生時代だった。
友達というものが少ない。
友達は少ないが、いらないというわけではない。

だから、親友という唯一の存在をも失うのかと思うと、心底怖かった。

そして、去年訳あって地元に戻ることになった。
親友は、嬉しいと喜んでくれた。

そして、2020年、私は自分探しをしていた。
私は、自分が生きにく人間なことを受け入れた時、それを親友に知っておいて欲しかった。

「私って、ちょっと変なんだと思う。。」

「えっ?今更?知ってるし」

衝撃だった。
「あっち側」の人間になる為に必死にやってきたし、ここ10年はなんとなくあっち側の人間になったつもりでいた。自分が生きにくいということを、言語化して認めるのは、ハードルが高かったのに。

親友は全て知っていたと言ったのだ。

念のため親友にも伝えた。


「あんたも相当変だけどね」
「えっ?」
親友はわかっていなかったようだ。

真逆な性格で、理解しあえない。
お互いがお互いに劣等感がある。
それでも、一番の理解者。

私達は、この時、離れている間の、いや出会って25年間分をぶちまけた。
それにまつわる25年分のエピソードは、どれもすべりしらずで、笑えた。
涙がでるほど笑った。


そして、今
冒頭のLINEが誕生日に来るほどに、離れた距離を取り戻し、以前よりも近づいたとすら思う。

「性根が氷の女王のように冷たいあんたも大好き」

親友に返信した。

 こんなこと言い合ってる自分にムズムズしたけど、素直に親友のことが大好きだった。


私は、「今欲しい言葉はそれじゃない」が結構ある。

共感が欲しいんじゃない。
癒しが欲しいんじゃない。


「頑張らなくていいんだよ」より

「できる」と、「やっちゃえ」と。

調子に乗らせて欲しい。私は、背中を押されたい。

失敗したら、大丈夫だよと背中を撫でるよりも、「ウケる」と笑い飛ばして欲しい。

親友は、そんな私という人間が欲しがっている言葉をくれる存在だった。

なにもかも真逆な親友だ。
似ているところを探しても見つからないほど。

面と向かって「あんたのことは大好きだけど、あんたに似たタイプはチョー苦手」
真顔で言われたので、その言葉そっくりそのままお返しした。

「友情も、夫婦も、アップダウンがあるものなんだな。」
「めんどくさい」
肩を並べてお茶を飲んだ。


おそらく私達は、40になっても、60になっても、80になっても、
お互いを理解できないまま、こうして肩を並べてお茶を飲むのだろう。

中学の頃から変わらない。
喧嘩して、仲直りして、バカ笑いして。
それを繰り返すのだ。


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