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気力と失念

帰宅中に立ち寄ったコンビニで、おそらく駐輪中に私の自転車カゴに投げ捨て放置されたであろう一冊の本に気づく。
それに気づいた私はファミリーマートの商品棚から取り分け何の思いもなくカップヌードル欧風チーズカレーを手に取り、慣れたやり取りで二つ折りのファスナーから小銭を出してレジを済ませた。最近はバーコード決済を利用することが多かったが残高のチャージする事の指の一押しの気力がなかったので現金での支払いをした これは手慣れていたのだろうか。
毎日の食事というのは、楽しみであり億劫に思うこともある。
病気かと思うくらいに胃袋をパンパンにしたいときもあれば、慎ましく一つの惣菜パンで済ませる事もある。

帰路にあるそのコンビニから程なくしての部屋の鍵を自転車の鍵と入れ替えつつ、十数段の階段を疲労にかまけて音をドスドスと立ててあがる。
階段は上がるものなのか、はたまた登るものなかのか、一生の課題だろうと考えてみるも、規模の違いではないかと言うところで自ら決着をつけた。

部屋の窓は両斜面ともに隣家の壁に阻まれていて隙間風だけが通り抜ける。
日光は西日だけだ。ここの契約時は片面は空き地であったが1年もしないうちに自転車を門中に7台以上を置く大家族が隣にいる。
また一方の片面は1階が引っ越し当初より利用している馴染みが深いラーメン屋だ。二階三階と住居のような構造をしているが、入居当初は若い夫婦らしき声がまれに怒鳴り合いをしていた。いつからか物静かに物音すら聞こえなくなった。遮光に恵まれないというのは呪いのような感覚に陥る事もあれば、それが丁度良いと感じる事もある。今日は呪いのような気分で目が覚めたのを思い出して少し憂鬱を覚えて、どう払拭して眠りにつこうか。
SNSでのつぶやきを抜粋して追記をしつつ、夜更けに頭を掻いている。

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