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オトナトコドモト

大人がものを言うときは、根拠に基づいて話をします。今までの自分の経験や慣習、法律など、知識を使って、論理性を大事にしたもの言いをします。根拠のない発言は、個人の思いとか感情とかに依っていることが多く、一貫性がないから、一時的にしか相手にされません。思いや感情は大事ですが、それだけでは相手を納得させることはできません。論文はその典型で、これでもかというくらい証拠を集め、形式に沿って、専門用語を使い、同じ学問を研究する誰もが理解できるように、論を立てていきます。
一方で、子供がものを言うときは、あまり根拠は気にしません。自分の思いや感情をそのままぶつけてきます。でも、大人と同じくらいの重みを持った、論文のエッセンスになるような、そんなものを言うときがあります。しかも、かなりの頻度です。もちろん、子供はその根拠を説明することはいまいち苦手です。

経験や知識で勝る大人と同じ発想を子供が持てるのはなぜなのでしょうか。

そんなことを考えていると、イデア論を思い出しました。古代ギリシャの哲学者が創造した、万物の理想像がイデアです。すべての物事には理想の姿があって、それを私達は直感的に知っているから、猫を猫と認識できるというものです。

子供の方が透き通った直感を持っていて、理想の姿が大人よりも見えていると考えると、根拠を示すことはできませんが、説明はできそうです。
一方で大人は、様々な物事を知っているだけに、目が濁っています。濁るというのは悪いことではなくて、総合的に物事を見ようとして、あっちにもこっちにも視点が動いてしまうということです。だから、大人が物事を真っ直ぐに見つめるためには、見続けるしかありません。でも、見続けるには溢れる好奇心と旺盛な探究心が必要です。しっかりと見続けた大人のもの言いは、様々な背景や事実をもとになされるため、説得力と人を引き付ける力を持ちます。

子供がそのピュアな目を失わずに、自身が持つ直感に自信を持ったまま成長し、直感を裏付ける経験や知識を身につけた大人になれれば最強です。

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