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自己紹介👀

自己紹介か、、、。

あ、ちなみに初投稿💦

よく人から、あなたの人生、本にできるね!と言われるが、取り立てて文才があるわけでもないので、本を書いたところで、きっとつまらないものになる。

まー、そんなこと言い出したらnoteなんでするねん、て話になるが 笑

私は京都生まれ京都育ちのアラフィフシングルマザー。(で、いきなり自己紹介始まってるし 笑)

子供は息子二人で、すでに成人している。

離婚は30歳の時。

その時、長男は6歳、次男は3歳。

離婚理由は経営していた会社の倒産。

離婚を決定付けたのは

旦那の「僕。社長しかできひん」て一言。

ちょ、ちょっ、倒産したんやで?

負債◯億あるんやで?

地道にはたらこうよ。笑

その時、母としての本能がピキーン✨

私がなんとしても、この子達を守る

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話は旦那との出会いにまでもどる。

その当時、私は18歳、旦那は22歳の春🌷

私は美術大学へ入り、画材費を稼ぐため

かなりの時間をバイトに費やしていた。

そのバイト仲間で

みんなの人気者のHくん(お好み焼き屋の息子)のことが気になりかけていたが

まーそんな人気者が私を好きになってくれることはない、と半ばあきらめ、、、

そんな時、「バイト終わったら、近くで誕生日会やってるし、おいでよ!」と女友達から連絡があり

そこで旦那と出会う

4つ年上のBMWに乗る旦那が大人に見え

(めちゃ大人な雰囲気!)

で、付き合うことになる。

その後、Hくんから告白されたのだが

「僕は、いつもバイト先に迎えにくるBMWに乗ったあの人みたいにお金は持ってない、でも楽しませる事はできるから、僕を選んで欲しい」

言われた言葉は

その後ずっと頭の片隅にいたような気がする。

あの頃、私は一生に一回の"モテ期"だったんだろう。

人生で選択をしなければならないことは山ほどあるが

なにを選ぶかで

まったく違う人生を生きていたのかもしれない。




「奥さま〜、良い生地が入ったんですよ〜。このバーバリーの生地はいかがでしょうか。」目の前にいるなよなよした言葉遣いの男が言った。

(良い生地が入ったもなにも、バーバリーやったら全部良い生地やろ、と心のなかでつっこむ)

「ま〜可愛い生地だこと」

義理母と仕立て屋の会話は1時間くらい続いた。

私の愛息子に、バーバリーの生地でコートを作るらしい。(まだ1歳にもなっていなかったのでマントみたいなやつ)

(だいたい赤ちゃんにマント作っても、来年着れへんやん?私なら来年も成長してないけどな 笑)

義理母は老舗のお店のお嬢で育った。その老舗のお店は今も記念館があるくらいなので、かなりのお嬢やったんやろう。

義理父はすでに亡くなっており、会社は旦那と義理母が切り盛りしていた。

義理母は200坪の家にわんこと二人暮らしのお手伝いさん付き。

以前、お手伝いさんが必要な理由を聞いたら

わんこがさみしいから、と

この時から義理母は私のなかで、綱吉の生まれ変わりの人になった。

綱吉は息子思いのさっぱりした良い人なのだが、

時々、昨日のおかずはなんなの。品数が少ないわよ、と電話が来るときがあり、そんなときは電話線を引っこ抜いて綱吉から身を守りつつ、私は毎日楽しく暮らしていた。

しかし、その頃、全国展開した会社が坂道を転げだした。

原因は、産地直送。

大手スーパーが産直をやり始めた。

仲卸の会社には大打撃で、産直より安くなんてできるわけがない。

その当時、私は27歳。経営の知識もなく、綱吉と旦那と一緒に坂道を転がるしかなかった。

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プルプルプルっ

プルプルプルっ

夕方16時になり、めったに鳴らない固定電話がなった。

今日は天気が良いから、窓辺でわんこと陽に当たりながらうとうとと大の字になって寝ていたが、電話の音で目が覚めた。

さむっ。。

もう陽が落ちかけている。

お昼間の暖かさはいつの間にか消え去っていた。

鳴り止まない電話の音に恐怖を感じた。

昨夜、旦那が言ってたな。

「明日の16時までに支払いができなければ、2回めの不渡りがでる。そしたらもう終わりや」

子供は昨夜、私の実家に泊まらせ、私は大好きだったこの家で、わんこと昼寝してから実家に行くつもりだった。

旦那はいろんなところへ、資金集めに駆け回っていた。

大好きだったこの家。

庭に芝生も植えた。中庭にはハナミズキも。

電話が鳴り止まない。

とりあえず、実家に行こう。

ソファもベッドもすべておいて。


わんこを脇にかかえ、車に乗り込み。

10メートルほど走らせたら

バンっ、バンっ!

え、なになに

あ、車の後ろのドア閉めるん忘れてた💦まじか。。。

で、開いたままのドアは電信棒にあたり

閉まった。

1回めのバンっは、ドアが電信棒にあたったバンっ。

2回めのバンっは、ドアが閉まったバンっ。

納得。


とりあえず。実家に行こう。

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そして翌朝、私は京都の小高い丘の上にいた。

目の前には、旦那、義理母、従業員数人。

街並みが朝焼けで綺麗やった。

数年前に、取り引き銀行の銀行員が来て

「お金を借りてください!そして、預けてください!」と吉本新喜劇の台本にあるセリフみたいなことを言ってきた。(それって意味ないやん。あきらか利息の方が高いし)

キレ気味の銀行員を見たのは、この時が最初で最後。

そして、数ヶ月後その銀行は破綻した。

そんな時代だった。


「みんな、これからどうする?」

「僕は、知り合いのところで働くことにしました」

「とりあえず、嫁の実家にお世話になることにしました」

なんとなくみんな行き先が決まっていて少し安心。

「じゃ、元気でな」

「社長も元気で」

かいさーん!と言いたかったが

ぐっとこらえた。

今、言うたら怒られる。


数日後、◯◯株式会社 計画倒産 と

ある新聞に載った。

(いやいやいやいや、計画ないない)

この時から私にとって新聞は信用できないものになった。

卒業アルバムも置いてきた。持ってでれたのは洋服数着のみ。

そして私たちは、当時、一億したおうち2軒を手放した。


昨日の、バンっ、バンっの時(自己紹介③)も車ではgrayがかかっていたが、今朝の解散の時もgrayをかけて実家に戻った。

数年後、gray世代でもない息子がgrayばかりリピートして聞くようになり、その度私は苦い思い出をリピートしていたことは誰も知らない 笑


その後、離婚にいたりシングルマザーとなって17年。

二人の息子も成人し、辛くて楽しかった17年を振り返り、また現在シングルマザー、シングルファーザーの方たちのお役に立てたらと思いNOTEを始めました。

どうぞ、ひとりで抱え込まないで欲しい。ひとり親とは自由でとても孤独な生き物なのです。

ひとり親とそのお子様たちが笑顔で暮らせる環境になることを願って。。。



特に文章を習ったわけでもないので、読みづらい文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。












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