Jubilee
明日から軽井沢へ。
天気予報は曇りときどき雨。
最低気温が19℃。涼しそう。
今回はあちこち動かず、旧軽井沢銀座をぶらぶらしたり、静かに涼しい森の中(のホテル)で過ごすのが目的なので、雨でも大丈夫だ。
しかしわたしは、旅の支度が苦手だ。
前日の夜になっても、夜がふけても、なかなか荷物をつくらない。
夜ごはんを食べて、片付けて、お風呂に入って、さてもう寝るかという頃になってようやくとぼとぼと荷物を詰め始める。
それも、とても嫌な気持ちで。
荷造りが下手なのではなくて、むしろけっこう得意なほうだと思う。いつも旅の同行者には「荷物、それだけ!?」と驚かれる。ちょっとしたお出かけサイズのコンパクトな荷造りを努める。
でも、荷造りはぜんぜん楽しくなーい。
いま、旅の前夜22時半だけど、もちろんまだ何も支度をしていない。
夜ごはんは作った。鰹のたたき(サラダ玉ねぎとみょうがと葱のせ)、つるむらさきのナンプラー炒め、納豆、冷奴、根菜をたくさん入れた豚汁。
ホテルに泊まると洋食が続きがちだから、和食にしたんです。
軽井沢へ行くことは楽しみなんだ。
でも、荷造りがね。
・・・
昨夜は、なにがきっかけだったか忘れたけど、くるりの曲をたくさん聴いて過ごした。
わたしはくるりのものすごいファンというわけではないけど、でも昔からほのかに好きなアーティストだ。
「ばらの花」とか懐かしいな。
大学生のころ、一番仲が良かった友達がよくくるりの話をしていた。くるり、ホフディラン、中村一義、小沢健二、とかが好きな、静岡の山のほうから上京してきた女の子だった。そして映画も大好きで。
わたしはそこらへんの音楽はよく知らなかったから、ふーんとか、へえーとか言いながら、大学の学食で彼女のそんな話をよく聞いていた。いまはもう建て替えられてしまったキャンパスの、古い食堂の片隅で、鉄板に乗ったおろし焼肉定食みたいなのを食べながら。
彼女とは卒業後も長らく一緒に楽器を演奏するアンサンブル仲間で、お互いに結婚して子どもが生まれても、会えば相変わらず生活感のない話をし続けていた。育児の話なんてほとんどしなかった。彼女はずっとずっと映画や音楽が好きだったし、わたしは相変わらず「ふーん」「へぇー」と言って聞いていた。
ここ数年はなぜだか彼女と連絡を取らなくなって、去年だったかな、久しぶりにメールのやり取りをしたら、「いま、山に住んでいるよ」という。
山に移住して自然のなかで暮らしてると。
びっくりしつつも、なんだか静岡の山で育った彼女らしくてしっくりきた。
もう何年か会ってない。
なんでか、山の彼女たちの家に遊びに行くということはせずにいる。なんでしないんだろ。わからない。
でもきっとまた、縁があれば人生のどこかで彼女に会うこともあるだろう。
そしたらまた、くるりの話を「ふーん」と聞くのかもしれない。
谷川俊太郎の好きな詩集の中にも、「Jubilee」みたいな詩があった気がする。
「どんなよろこびの深い海のなかにも、ひとつぶのかなしみが溶けていないことはない」というような。
そうなんだ、きっとそうなんだろうね、と思いながら、美しいその歌をしみじみと聴いていた。
・・・
さて、荷造り。
荷造りですよ。
逃避してないで旅の支度だ。