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背中をなでる週末

木曜日

担当していた懸念の仕事を終えて、帰宅中に突然の腹痛に見舞われる。たぶんストレス性のいつものやつだ。
わたしはこの腹痛で救急車のお世話になったこともあり、なんとなく気配がわかる。
しばらく駅のホームで休んでから、ほうほうのていで自宅に到着して、制服姿の娘の顔を見たらなんだか力が抜けてしまった。

はー疲れたよーと泣き真似をしたら、娘が「おつかれさま」と背中をなでてくれた。
背中をなでてくれる手がしみじみありがたい。

娘はよく「わたしは鈍感な人間だ」と言うが、
繊細さなんてなくたって、何かあった時にサッと背中をなでてあげられる行動力のほうがずっと大事だといつも思う。

それにしても疲れた。
こんなに疲れ果てたのいつぶりだろというくらい。

・・・

金曜日

まだ疲れているが、娘の学校の授業参観へ。
紺色のワンピースを着て地下鉄に揺られる。

娘の学校では父母会や授業参観などには紺のスーツやワンピースを着るという暗黙のしきたり(のようなもの)があって、はじめはその雰囲気に面食らった。
でも、いちいち服装を考えずにすむのは楽かもしれないと思うようになった。
この格好をしているとお母さんという生き物になったような不思議な感じがする。

教室の後ろから見る公民の授業は、なかなか面白かった。
議員立法についての調べものをしていて、それぞれ自分の端末(タブレットとかノートPC)を机に置き、作業をしていた。
ノートではなく端末を使っているあたり、時代が変わったなぁとしみじみする。昔だったらこういう調べものは図書館に行かないとできなかった。

後ろから眺めているとそれぞれの端末の画面がよく伺えたのだが、真面目に作業する子たちのなかでひとり、ひょうひょうとゲームをしている子がいた。
ハンバーガーを作っては注文に答えている(そういうゲームらしい)。
涼しい顔してキーを叩いてハンバーガーを量産し、机間巡視をしている先生が近づくとサッと勉強の画面に戻す。
あざやか。

先生の目は気にしても、後ろから見ている保護者の目は気にならないらしい。
痛快だなーと思いながらその子のゲームぶりをしばらく見ていた。

自分が中高生だった頃とはこの世代の子たちは雰囲気がなにか違っていて、基本は真面目なんだけど、ほどよくゆるさがある。不真面目にも真面目にも振り切らない感じがいまどきでいい。

この子たちは何世代と呼ばれるようになるのだろうな、なんてふと思う。

午後からはそのまま仕事に向かうはずだったが、授業を見ているうちに昨日の腹痛がじわじわとぶりかえし、家に帰ることにした。

・・・

土曜日

久々の完全休日。
心ゆくまで二度寝し、腹痛もきれいさっぱりなくなる。
近所のポポラマーマで冷製パスタをたべ、本屋を1時間ほどうろうろした。
冷製パスタって好きだな。一年中食べたい。

本屋にて、絶版になっていた『テムズとともに』が復刊されているのを発見する。
なんと!しずかに興奮する。
いまの天皇陛下が20代の頃、イギリスへ二年間留学されたことを記した滞在記で、その存在を知ってからずっと読んでみたかったのだ。

絶版状態だし、Amazonなどで中古本をたまに見かけても5万円くらいしていて、国会図書館に読みに行くしかないのかなーと思っていた。

即購入しました

料理本コーナーにもしばしとどまる。
辻仁成の『父ちゃんの料理教室』を購入。
この人の料理は本当に洒落ている。自分が自宅でこれを作れるとはとても思えないのだが(グーラッシュとか、パイづつみとか)、眺めているだけで小洒落た気持ちになる。

夜は、娘がこの前の調理実習で覚えたというサーモンのムニエルを再現してこしらえてくれた。


わたしはニラ玉や副菜をつくる。
ムニエルは身が柔らかくてとても美味しかった。

食後、ごろりところがって『テムズとともに』をすこし読んで、心はイギリスへ。

私にとってロンドンは初めての地ではなかった。一九七六年のベルギー、スペイン訪問の帰途、短時間ではあったが立ち寄ったことがある。飛行機の乗り継ぎの関係もあり、市内を巡る時間は少なく、その時のロンドンの思い出はウィンザー城とそのそばを流れるテムズ川と最寄りのレストランで食べたロースト・ビーフに限られる。ウィンザー城には感心したが、テムズ川とロースト・ビーフの味はさほどよい印象ではなかった。

『テムズとともに』より

いい…!
ウィンザー城には感心したけどローストビーフはさほどよくなかったんだ。
かっこいいなーと、床に転がりながらうなる。
予想したとおり文章が知的でとても素敵だ。
これは一気に読んではもったいない本だなと思い、少しだけにして、本を閉じた。

よい本を読みはじめた日は、よい夢を見てふと目覚めた真夜中みたいな気持ちがする。