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意味なんてない場所にたたずむ

大気から金木犀の香りが消えてしまって、なんだかさびしい。
あーあ、終わっちゃったな。
ま、秋はこれからだ。

今度は秋バラの季節。
バラの花は、毎年、春と秋に咲く。
大人になってからそう知った。
そしていつのまにか、毎年その季節にバラ園に足を運ぶようにも。

で、日曜に行ってきたんです。

形がおもしろい葉っぱ

わたしは季節のお花を見るのはとても好きだけど、お花を育てることには向いていない。
たぶん、ぜんぜん向いてない。
なぜか必ず枯らす。絶望的に向いてないんだよ。栽培というものができない。
そう知っているから、お花は育てるのではなく、誰かが丹精込めて育ててくださったのを足を運んで見に行っている。

切り花をいただくより、できれば咲いているお花を見に行きたい。それがいちばん、花が花らしくて綺麗だと感じるから。

が、今回バラ園に一緒に行った娘が、「お花を買ってみたい」という。
言っとくけどお母さんは育てられないよ、と何度も言った上で、ベランダ読書空間用のお花をひとつ購入した。

ビオラ。かわいい

・・・

帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』を読み終えた。

人は、誰も見ていないところでは苦しみに耐えられない。
でも、見守っている目があると耐えられる。
・・・
他の誰かが自分のことを思ってくれていると知ること。
共感の力こそが人生を変える。

脳ってやつは分かりたがるもので、とかく出来事に意味づけをしたがる。
というか人って、なぜだか人生に意味づけをしてくなってしまうものですよね。

でも、意味なんてつけずにそのまま分からずにいることも大事なんじゃないかと、わたしは前からうっすら感じていた。
困ったことが起きても、「困りましたね」と留まっていること。
ん?と思っても、モヤモヤしても、白黒つけずに耐えること。

そのまま分からずにいる、耐えている人に対する共感の力。
そういうものがきっと、いつしか人生を好転させてゆくかもしれない。
共感しようとする心、それはつまり愛なのかもよ。

ふむふむー、と思いながら、確かこれは休みの日にスターバックスで読み終えた。
「カフェミスト」という、薄いカフェラテみたいなやつを飲みながら一気に読んだんだった。

・・・

で、いまはこちらを読んでいます。

稲垣さんの日々のごはんが実においしそうなんだよなぁ。
玄米ごはん、ぬか漬け、お味噌汁。
わたしはそういうのが好きだけど、家族がいると毎日それを出すわけにも行かない。

わたしも、娘が自立したらこういう献立で生きていきたいなと思う。
さすがに「電気使わない」「ガス契約なし」は真似できない(したいと思う訳でもない)けど。

同じように稲垣さんの生きっぷりに魅力を感じている職場のヤマさんにこの本を見せて、しばしえみ子師匠について語り合った。
ヤマさんは還暦近いおじさまだが、自宅に電子レンジがなく、夏でも冷房を使わずに暮らしている。食事は日に一回だという。還暦近いのにスレンダー。えみ子師匠に近づいてる。

わたしはえみ子師匠のように冷蔵庫なし、ガス契約なし、電気使わず…みたいな暮らしをしているような(したいと思うような)人間ではないのだが、なぜ稲垣さんの本を読むとほんのりいい気持ちになるのかなと考えると、稲垣さんが意識高い系というわけでも、移住系でもなく、都会に住みながらごくごく無理なくこの生活をしているというところに惹かれてるのだと思う。
意味とか、自己表現とかじゃなくて、その暮らしがラクだからっていう理由がいい。
「この食事がほんとうに美味しいから、毎日これでいい」という、ちゃんと自分が自分に帰結してる感じ。

あと10年もすれば娘も家を出ていくかもしれないし、そうしたら、きっととてもさびしいけど、毎日玄米ごはん、ぬか漬け、お味噌汁の生活ができるのかも。

あ、夫のごはん忘れてた。まぁそれは自分でおかず一品くらい足してもらうということで。