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がそばれ!2024

さて、2024年になりました。

というのに、さっそく、したためた手紙の終わりに「2023.1.4」と書いてしまった。まだ、2024にはなれてない。そのうちなれるといいなと思います。

さて、年の初めに書きたいこともいろいろあるのですけれど、年末から年初を簡単に写真でレポしてみようと思います。

ていうかまず、ド年末の、突発的な川越旅行の二日目はこんな顛末。

川越って、小江戸の街並みを見終えてしまうと、あとは「喜多院」という大きめのお寺しか観光スポットはなさそうで、そこでは五百羅漢さまが名物で拝観できるのらしい。
わたしはお寺や仏像は好きなので、五百羅漢さまを観に行こうと思った。
(ちなみにいちばん好きな仏像は広隆寺の弥勒菩薩像、興福寺の富楼那像、秋篠寺の技芸天です。あ、いちばんを3つも言ってしまった)

朝から喜多院へてくてく歩いて向かった、のですが、あなた、いえ皆さん。年末の大きなお寺がどうなっているかご存知ですか?それはもう、普段とは違っていて、初詣仕様になってます。
初詣ドンと来い!の状態。
だから、つまり、普段とは違うんです。

30日で、すでにこう

これはこれで風情がある。
10年くらい前にも、年末に京都へ旅をしたことがあったけど、そのときも訪れる寺社がそれぞれにその年を清め、新しい年に向けて美しく初詣のしつらえをほどこしていて、年末の旅もいいもんだなあなんて思った。

でもさ、初詣に備えてるのはいいんだけどさ、まさか唯一の目玉であろう五百羅漢さまが拝観できなくなってるとは思わなかった。
入って数秒で「五百羅漢像は拝観できません」と書いてあるのを見た時のがっくり感よ。

でもまあ、きちんとお参りをして、「苦抜地蔵」という素敵なお名前のお地蔵さまのお守りをいただいた。喜多院、よいお寺でした。

さてしかし、まだ午前中なのに川越でできそうなことが終わってしまった。

そこでひらめく。いっそもう東京に戻って、年末の父の墓参りをすることにしたのだ。
父は東京の青山霊園に眠っている。

喜多院近くで買ったお花

青山霊園って、都心にありながら、中に入ると本当におそろしく広大なのだが、父のお墓はわりと分かりやすい位置にある。
だが今回、いつもと違う入口から中へ入ってしまったために完全に方向感覚を失った。
どこ?ない、ない、なーい!と迷子になる。娘とふたり霊園をさまよう。さまよう道中で乃木将軍のお墓やハチ公の上野教授のお墓に出くわし、おおっ!なんて言いつつ、いやいやここどこなのよ……おとうさーん!と小さく呼んでみるも、応答なし。

仕方なく、実家の母に電話する。「いま青山霊園にいて、お父さんのお墓の位置が分からない」と言うも、「その場にいれば分かるけど、電話だと伝えるのが難しいわよね」と困られる。そりゃそうだよ。
「すぐ近くに大きな木があるのよ」「大きな木なんていっぱいあるよ」など不毛なやりとりをしつつうろうろ、20分ほど歩いてなんとか辿り着いたときには、「お父さん!!」と叫んでお墓にヨヨヨとすがりつきそうになりました。

わたしは5年前に父を急な病で亡くして以来、本当の本当に困ったときだけ、心のなかで父にお願いをする。小さなことではなく、自分のなかで「これはもう自分ではどうにもならない」と思ったピンチのときだけお願いをする。

2023年は年の後半に家族に大きな事件が色々起きて、父に何度もお願いをすることになってしまった。そうして、そのピンチはひとつひとつ、ちゃんと解決していったのだ。
そのたび、父の写真に「ありがとう」とお礼は伝えていたが、きちんと墓前で感謝を伝えたいと思っていた。

お墓に向かって手を合わせ、お父さん今年はいろいろありがとう、たくさんお願いしてすみません、でも家族を守ってくれて本当にありがとう。○○ちゃんの口内腫瘍も、わたしの病気も、○○さんの職場もなんとか収束したよ、と心の中で唱えているうち、なんだか涙が滲んできた。お父さん。今年つらいこと結構あったよ。

父とは、生きているうちにはなかなか気安く話せる仲ではなかったけれど、亡くなったいまはすごく近くにいるような気がしている。いないのに、いる。そんなような感覚だ。
もちろん生きているうちにもっと話せたら良かった。
でもいまの父とのこの関係も、わたしのなかではちゃんと「お父さんとわたし」の続きなのだ。

旅から帰ってきて、買ってきた狭山茶と、名物のお醤油のもなかでひと息。

年末は、こんな感じでした。

あ、年末だけで結構書いちゃった。
では、年明けはパッパカいきます。

まずは毎年恒例、箱根駅伝を生応援。
実家のすぐ近くを通る(1区、10区)ので物心ついた時から観にいっています。

白バイ。かっこいい!
一歩の大きさ、そして速さよ!

翔けるように駆けてゆく。毎年そう思う。
この人たちは箱根へいって、そして帰ってきたんだな、みんなでたすきを繋いで。
その思いと、「走る」という姿の美しさとけなげさに、何度観ても胸があつくなるのです。

実家では、娘が初釜(大げさだが)でお抹茶をたててくれた。
新春の生菓子はとても美しい。

鶴、梅、紅白

そして娘は、わたしの兄である「おじちゃん」と、ファミコン対決で大いに盛り上がる。
(ニンテンドークラシックミニを持参しました)

アイスクライマー
くにおくんで大爆笑
母が張り切ったごちそう(なぜかガーリックトースト)

夜は、恒例のトランプ「大富豪」で熱く盛り上がって、帰ってまいりました。

今年は、帰りの車の中で、なんだか寂しい思いがあふれてしまった。
あと何度、こんなお正月を迎えられるのかな。後期高齢者の母もまだ元気で、ごちそうを用意してくれて、娘も兄もみんな元気で。

あと何回。あと何回。
そんなことばかり思い浮かんで、どうも、だめですね。歳をとると。「いつか終わる」って思ってしまうんだ。いかんね。
「いつか終わるかもしれないけど、いまは終わってない」。そう思うんだ。
だって人生ってそういうものだもの。

・・・

初みくじ。

たちこめていた雲間に
再び月の明るさがさしこむように
万事気短かにする事なく
よくよく思慮すれば
神仏のご加護の下
幸せが訪れる

雲間に月の明るさがさしこむ年。
手帳に入れて、忘れないようにしようと思う。

◎おまけ

箱根駅伝、以前は沿道の人たちに応援の旗を配布していたけどコロナ以降は配布がなくなった。
ので、今年は100均で揃えた材料でこんなうちわを自作して持って行ってみたのだが……

がそばれ!

がそばれ!になってしまった。

せっかく作ったので、野球の応援にも使おうと思います。
がそばっていきましょう。

・・・

お正月早々に北陸で大きな地震が起きて、今まさに本当に大変な思いをされている方々がいらっしゃることを思います。
亡くなられた方、お怪我をされた方、悲しい思いをされている方のお心を思います。
さまざまな復旧や回復、支援物資の充足を祈りながら、自分にできることとしてせめて募金を寄せるくらいしかできませんが、赤十字社を通じて募金をさせていただきます。

https://www.jrc.or.jp/contribute/help/20240104/