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『苦手で恐怖な文章』がnoteのおかげで好きになった

このnoteを読んでくださっている
読者の皆様はすでにご存知かもしれないが、
私は文章を書くことが苦手だ。

いや、正確に言うと
苦手になった。

特別の方程式が崩れた幼少期

幼少期、読書感想文で自分の感じたことをつらつらと書いていくことが好きだった。自分の頭の中で心の中で展開されていたことが、言葉として表すことができる文章には特別な想いを抱いていた。

しかし、途中で気づいた違和感。
読書感想文には『書き方がある』というものをとある時に知った。夏休みのドリルの中だったか、なにかの本で知ったのか。きっかけは覚えていないが、起承転結の重要性とそれを外れたらいけないという制限をかけられたようで、私の中の"文章=頭や心の中のことを言葉で表す"という方程式が一気に崩されたような、そんな感覚を抱いた。

その頃から文章に対して
苦手意識を持つようになった。


ネットワークの普及、文章を書く楽しみ

それでも自分の想いを文章にすることに惹かれ続けていた私は、高校時代にネットワークの普及に感動した。

そう、ブログの流行だ。

自作HPを作って今で言うTwitterのようなつぶやきができるツールを取り入れたり、ブログを開設して自分の考えを文章にできるように整えた。

私はHPやブログの更新が楽しみになった。ブログには形式がない。正解もない。だから、自由に自分の文章が書けるんだ!これで自分の考えや気持ちが制限なく表現できるんだ、最高じゃないか!!

そう思って更新を続けていった。


ボロボロに砕かれた執筆意欲

大学になってからはアメブロに移行した。その頃はブログ=アメブロ,mixi…という印象で、始めやすい更新しやすいという印象からアメブロでコツコツと文章を書き、SNSにアップする。思考を整理するツールとしても大活躍していた。

しかし、SNSにアップしたことで知人が閲覧する。それに対してひやかしを受けた。「何あの文章」「記事の始め方と締め方が変」「何のためにブログ書いてんの」いろいろな言葉を浴びた。


この頃から文章を書くこと、発信することが怖くなった。

また馬鹿にされるのではないか。自分のために書いてるのに自分が傷つくのではないか。書いても自分が傷つくだけなら書く意味がないんじゃないか。

SNSでの更新は最小限にし、文章を何回も読み返して「これは人から変と思われないか」「誰かに伝わる有意義な文章か」「自分の気持ちばかりが先行した支離滅裂な文章になっていないか」
そんな怯えた気持ちを抱えながら、発信をしていた。


自分のための文章で良いと肯定してくれたのがnote

社会人になって、数年。

朝渋というコミュニティに入り、今までの人生では全く接点のなかった人達と交流することによって、様々な刺激と知識をもらった。

その一つがnoteという存在。
過去の経験から文章を書くことへの苦手意識や恐怖を抱えていたけど、noteの発信を見ていると、今まで感じてきたようなイメージが全くなかった。

どんな文章でも受け入れてくれる人がいる。それを肌で感じることができる。そんな心地良さそうな環境が広がっていた。


そして、2018年の10月にnoteでの執筆を始めた。
自分自身の思考の整理、体験の感想、イベントの参加レポートなど、様々なテーマを元に文章を綴っていったけど、どれも心地が良くて私の文章を受け入れてくれる人がいることに気づけた。

文章を書くことはまだまだ苦手だと思っている。でも、自分の気持ちを文字に落として書いていくことはとても好きだし、言葉になっていなかった気持ちを文章に出せたことで気づけた経験は毎回学びだし、はじめましての人に「いつもnote読んでます!」と言われると顔がニヤけて溶けそうなほど嬉しい

だから私はnoteを書く。
苦手で好きな文章をここに記していこうと思う。

いつもご覧いただきありがとうございます!同時にサポートいただけると泣いて喜んでたぶんあなたのファンになる(かも)。 自分の気持ちを文章で表す、伝えられる人間になるべく、グラレコだけでなくnoteも頑張るので応援お願いします〜!!