拝啓 陰鬱とした私へ

 君のことばに救われたという企画。私が救われたのはアイドルだけど、書いててテーマと少し違うなと思ってこちらに改めて(でも元記事にのせてるアイドルは素敵なのでぜひ見てみてください)。なんとなく疎外感を感じたり、いじめられてるわけではないけど馴染めなかったり、漠然と死にたい人だったり、虐待されてはいないけど両親が辛い人へ向けた文章です。セクションに分けてるので、該当するところだけでも読んでみてください。

1.漠然とした「死」への期待と鬱

 私はとても卑屈だ。自分のいいところは見つけられないし、他人が幸せそうだとすぐにネガティブになる。普段たくさん我慢してるのもあり、厭味ったらしい言葉もすぐ頭によぎる。思えば小学生くらいの頃からそうだった。でもそこまで人間として出来てたわけではないので、認められたかったし褒められたかった。少し見栄をはったり、いかにも楽しいという雰囲気を出したり。ところが、私は残念ながら一人でいるのが好きで、我慢しなくてもいい環境というのは私にとって心地良すぎた。同性異性問わず恋愛的に好きと言われると「気持ち悪い」と感じてしまい、とにかく生きるのが苦しかった。

 鬱と診断された。大学生の3年目。バイトに行くのも辛かったし、気力がなかった。自動車免許の学校も最初の調査で「死にたいと思っている」に完全にそうだと丸をつけた。歯を磨くのも髪を乾かすのもしんどい。苦しかった。経済的に余裕がない中、残念ながら親は鬱に理解がなく通院が不可能になった。それから病院には行ってない。幸いにも3年目だったので、残り必要な単位はごく僅か。1,2年頑張ってよかった…と同時に、通えるのか不安だった。無理なく通学できるよう午後からの授業を少しずつとった。人と同じがしんどくて、理解が得られないことが辛くて、同級生に話そうにも話せなかった。これは私が話さなかったのも悪いけれど、相手も相手で話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからなくて、バイト先でもその態度で苦労しているという話を聞いた。毎日「死」が身近だった。包丁、道路、建物、遠出したら崖、海。死ぬ環境というのは存外整っているもので、出かける度に「あ、死のうかな」と思った。

 私はミオヤマザキさんが好きだ。『山手線ツィッター狂想曲〜小フーガト短調〜』の2:20からの歌詞がまるでもともと私自身を表す言葉だったかのようにすっと身に沁みた。

「死にたいんじゃない生きたくないんだ」はまさにその通りだった。死のうかなとは思うけど、それは生きたくないだけだった。この記事の1行目でリンクをつけたアイドルにハマっていた私にとって、この感情はまさしく「学び」だった。自分の中の気持ちが言語となって眼の前に現れたとき、共感ではなく自分の言葉となるんだなと実感した。私は「生きたくない」んだと。この日から私はアイドルの影響から「明日も頑張って生きよう」と思ったのと同時に、「生きたくない感情に目を向けよう」と思った。

 「生きたくない」と思ったきっかけはたくさんあるが、抉るようにその思いを深めた出来事を覚えている。私は漠然と不安で、何か共感が欲しかった。現状に対して建設的なアドバイスが欲しかった。Twitterだとそもそもオタク仲間しか繋がっていなかったし、Yahoo!知恵袋で匿名で聞いたのだ。「友達はいるけど孤独感がある。漠然とした不安がある。将来どうしたいのか全くわからない。自分が想像できない。不安が強くて死にたくなる。」といった旨を投稿した。そのとき、すぐにレスがついた。「そんなものは甘え」「自分でどうにかしろ」「もっと深刻な人はいる」……
はっきりいって恐怖だった。これは甘えなのかと。私が間違ってるんだと。苦しくて苦しくて仕方がなかった。漠然と死にたくなる人は稀なのだと。確かに状況的にもっと深刻な人はいると思う。でも死にたくなる感情が芽生えているという点においては、私だって同じくらい深刻なんだ、精神的に。今ではそう思えるけど、まだ20歳にもなってない頃、それはとても私の心を抉る体験になった。鬱という言葉がまだ誤解されていた頃(いまでもそうだけど)で、鬱でなくとも「他人の感情」というものに世間が関心を示さなかった頃。

 それから数年、正式に鬱の診断をもらった私は、心理学をとっていたのもあり自分の気持ちに興味を強く抱いた。環境的な不安も大きかったけど、それ以上に何がそんなに「死に至らしめよう」とするのか。本当に偶然、たまたま本屋で手に取った作品にその答えがあった。今思うと、これは間違いなく幸運であり、今の私にとても影響を与えた言葉だと思う。
 そんな運命的な作品は「ここは今から倫理です。」 という漫画だった。主人公は倫理の先生。哲学を扱っているのもあり、この作品に出てくる生徒は各々悩みを抱えていた。作中、自殺を図る女の子がいる。その子を見てクラスメイトの女の子が「死ぬ事に…命の重さに比べたらちっちゃな事じゃないか!!」と言ったが、それを聞いた主人公の高柳先生は「違います!」と力強く否定した。「恋に破れても…家族が死んでも いじめられても 就職に失敗しても 仕事がイヤでも お金がなくても 人生が…退屈でも!!それがどんな理由でも命に換わる程重い絶望になるんです!!」こんな言葉は初めて見た。自殺する側への理解を示したこの言葉は、私の心の靄を晴らした。自分が死にたいと思う理由は、命に換わる程の絶望があるから。理由がわかっただけでも幾分心は軽くなるもので、本当に驚くほどに「死にたい」と思う気持ちがすぅーっと消えた。「生きたくない」という気持ちを鮮やかに明文化したそのセリフは、私が死にたいと思う度に思い返してる。今、私は命に換わる程の絶望がある状態なんだと自己把握をする。
 同作品の中には、対物性愛の女の子が出てくる。その子は対物性愛者であるという個性を除くと、どこにでもいる悩みを持つ子だった。悪いことをしたわけはないが、けんかをするほど他人に怒りの感情を抱いたことがたくさんあったその子の苦しみや泣き顔は今でも鮮明に覚えており、また、思い出したくもない弱い自分に重なる姿でもあった。この作品を通して、やり場のないこの感情は心理学でも親でも友達でもなく、哲学に聞くべき内容であると理解した。そして、私は特殊でもなんでもなく、昔から人類が戦ってきた感情と向き合ってるに過ぎないのだともわかった。

2.人間関係と醜い心

 誰しも「この人とは相性悪いな」と思ったことがあるだろう。そこで終わればいいのだけれど、どうしても関わらなきゃならない時や相性悪いなと感じた人がクラスメイト全員に自分の悪口を広めた場合。それはもう耐えられないだろう。元々一人が好きだった私でも辛かった。そしてそれを学んだ上で、それ程相性が良くなくてもグループに入れてと言われれば入れてあげて、修学旅行の自由時間の行き先でその人と反対方向に行きたかったときに苦い経験があるから「いいよ、そっち行こう」となる。まぁ楽しかったから別にいいけれども、この我慢する瞬間の辛さと言ったらない。何より、自分が嫌いになる。自分から譲ったのになんで!?って感情が出てきたり、クラス中に嫌われたことについて自分が悪いと責め立てたり。相手も自分も嫌いになるこの瞬間が一番の負担だった。
 私が大学生の頃に出会ったTVショーで、ル・ポールのドラァグレースというものがある。派手に着飾ったドラァグクイーンたちは、カリスマ、個性、勇敢さ、才能を問われる。この「勇敢さ」には自分の弱いところを晒すという面も求められた。このショーのシーズン5でビアンカ・デル・リオとトリニティ・K・ボネットが隣同士で座って、お互いの印象を吐露しあうシーンがあった。トリニティが「最初は嫌な奴だと思ったけど、案外悪くないかも」と言った時、すかさずビアンカが「お互いを殺してないしね」と返した。人間関係も多分これくらいざっくりでいいんだと思う。お互い殺してないから相性は悪くはない。相手への印象もそうだけど、なにより自分への印象がぐっと軽くなる。殺さないのは当たり前だけど、当たり前を実行できるのは偉い。自分が相手に不満や悪い印象を抱いた瞬間に「でも殺してないから悪くはない」と思うだけでも全然違う。さらに、同シーズンで全クイーンが集合する最終回で、仲の悪かったデリアン・レイクとベン・デ・ラ・クリームの二人に「仲直りした?」と聞くと「良い関係に。」「お互いなんの影響も及ばさない関係になった」といっていた。どうしても相性悪い人と組まないといけないとき、クラス中に自分の悪口が言いふらされた時、「お互いになんの影響も及ばさない」関係を保てたら花丸だ。自分をしっかりもって、適当にその場を済ませればいい。もちろん、居心地は悪いだろう。それをどうにかしたい気持ちもわかる。その状況が「命に換わる程の絶望」である人もいるだろう。そのとき、「なんの影響も及ばさない距離感」を保てばいい。休んだっていい、サボったっていい。その時に実際に死んだときの方が大問題だ。辛い気持ちは大切に、自分の心を労りながら、「相手を殺してないから偉い」と自分を褒めてほしい。それができたなら、あなたは間違いなく強い人だ。

3.休むことへの罪悪感と親

 休むことについて、ネット上ではいいんだよというが、どうにもならないのが親だ。親はいけという。先生も電話する。周りの大人とはとても厄介だ。話してわかる親なら1で書いたようなことを説明してあげればいいけど、「バカじゃないの」と返されたときの絶望感といったら、ますます希死念慮を加速させる。これはあくまで私がどうしてたかの話であって、こうするといいわけではない。むしろ、やらない方がいい話もある。でもそれくらい辛いことだよねという感情の話と、私が当時できる表現がそれしかなかったことの話だ。
①図書館に行く
 図書館は秘匿性の高い場所だ。よほどの事件でもない限り、誰がいつ頃図書館にいたのか、図書館の職員は答えられない。それを利用して、辛いときは図書館においでという場所もある程だ。学校行くふりして図書館行ったって良い。頃合いになれば帰ればいい。
②交番へ行く
 ものすごくくだらなくて、理不尽なことで怒られて家を追い出されたことがある。母からは、「パンを買ってきて」とだけ言われ、私はいつもパンを買ってきてと言われたら食パンを買って帰っていた。母の「パンを買ってきて」のパンが食パンでなかったことがない。バケットの日はバケット買ってきてと言っていた。ところがその日はバケットが欲しかったらしく、酷く怒られた。あまりの理不尽に言い返すと、「生意気なんだよ」「出ていけ」と言われ追い出された。夜18:00、北海道の師走に。若い子ならわかると思うけど、習い事が多くて、昔と違ってお互いの家に遊びに行くような時間も余裕もない時に。母曰く「友達の家を頼ると思った」とのことだったが、夜突然泊めてというような文化はとうに消えた田舎の中の都会で、そんなことは不可能だった。理不尽だったし私は交番に行った。ただの親子喧嘩なので、家に連絡がいき、結局追い出した本人が迎えに来た。親は面倒事や世間体を気にする。本当に理不尽に追い出されたと感じたら無理にでも戻る方法はある。交番に迷惑はかかるけど、真冬次の日凍死体より全然マシだ。
③実際にその場で死のうとする
 頼むからこれはやらないで。そこまであなたに追い詰められてほしくないから。そこまで追い詰められる前に、私でも誰でもいいから声を上げてほしい。苦しいと言葉にしてほしい。当時、普段我慢して我慢してどうしようもなく苦しくて、私は爆発した。私は親の目の前で死のうとした。もちろん止められたし罵詈雑言を浴びせられたけど、この爆発があってから親が精神障害を疑うようになった。実際鬱だったので精神に問題があるという意味では正解だったが、残念ながら完全な理解はできなかった。それでも何かのきっかけになった。このとき、私は親から「あんたが怖い」「気持ち悪い」と言われたのをよく覚えている。

 ここまで書いてると、虐待だとか毒親だとか言う人は出るかもしれないけど、現在休職中で退職後被扶養にいれようとしたり好きなものを買おうとしたり基本的には普通の親だ。ただ私と全く反りが合わず、互いを全く理解できないだけで。むしろいろんなことを経た今だからこそ、「無理をしない」といつものように言っている。自分たちと時代が違うことを理解し始めている。私は幼稚園児のときから約20年間親と戦った。あなたもそれくらいかかるかもしれない。特に③は本当にやめてほしい。あんな思いをするのは私だけで十分だ。

4.おわり

 これまで書いたことは、誰にも話したことがない私の経験だ。ずっと心の奥底で淀んでいた過去であり感情だった。言葉にするとすっきりする。悪口は良くないというけれど、それで心の整理がつくのもまた事実だ。今苦しんでる人、辛い人がもしこの文章を読んでいたなら、私は「大丈夫だよ、あなたはえらいよ。」と言いながら抱きしめたいくらい。でも文中にあったとおり、こんな思いは私だけで十分だということもある。苦しいなら声をあげてほしい。誰でもいい。私でもいい。私も声をあげるから。お互い頑張ろう。今日も生きてて偉かった。明日も頑張って生きよう。

#君のことばに救われた

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