街と家族

僕の生まれた街は、街というには、あまりにも田畑が多すぎるかもしれない。

街は、とにかく田んぼで囲われていた。北側に利根川が流れていて、そこには大きな橋がいくつも架かっていた。そこだけが唯一田んぼを見ることなく街に入ることのできる道だった。他はすべて田んぼを突っ切るような形で道が作られており、長い田んぼを抜けることでしか街には入れないようなつくりになっていた。ほとんどの車はこの街を通過して、別の市に向かっていく。輸送用のトラックが頻繁に通行し、その間を縫うようにして街に住む人たちの車が走っている。この街に用があってやって来る人はほとんどいない。と僕は勝手に思っている。

この街の住民の多くは、二階建ての一軒家に住み、車をニ台所有している。結果的にそうなったというわけではなく、住民は、そうなるために周辺の市からこの街にやってきた。新興の住宅地が街のいたるところに作られており、小さな子供を連れた家族が安く広い一軒家を求めて越してきた。ここからなら車で、隣接する比較的大きい市内への通勤が可能だといううたい文句も合わさってたくさんの人間がこの街に越してきた。

どのくらいの人間が住んでいたのか、僕は全く知らない。そこには興味もない。5万人住んでいたと聞いたら、そんなに多かったのかと驚くかもしれないし、2万人と聞いたら、まあそんなもんかと思うかもしれない。わからない。人口が何人という話を聞いても何もぴんと来ない。小学校の一学年当たりの人数だったら、もっと具体的に想像できると思う。

僕たち家族は、その街で、二階建ての一軒家に住み、車を2台所有していた。典型的なあの街の住民だった。僕たち家族の住む家は、その街にある一軒家の中でも比較的大きい方だったと思う。庭には、普通車なら七台くらいは止められたし、間取りで言ったら、5LDKくらいはあったはずだ。一階に三部屋とリビング、二階にもう二部屋あった。

僕と父と母と三人で暮らすには、少し広すぎる家だったが、その家はもともと父が、自分の母親と姉二人と暮らすために建てた家だと聞いた。家を建てられるくらいの大人が、そんな家族形態で一軒家に住む、というケースを他に聞いたことはないが、もともとはそうだったと聞いた。姉たちが出ていき、そこに母が嫁として入ってきた。その家で、僕は生まれ育った。
僕の記憶の中では、母はずっと専業主婦だった。父は、自分で会社をやっていた。家には、犬と猫が一匹ずつ住んでいた。猫は、利根川の河原で拾ってきたらしいが、ある日家の前で車に轢かれて、死んだ。犬は、散歩中に利根川を流れて死んだ。

犬は利根川を流れて死んだ。犬の散歩に行ったはずの父が一人で帰って来た。いつも水浴びをしていた利根川で、犬が流れて死んだと父は言った。川の中腹に向かって泳いで行って、そのまま流れていったらしい。

川を流れて死ぬのは、どんな気分なんだろうと、犬が死んで20年以上経って、考えるようになった。犬が死んだのは、僕が小学校に上がった年だったか、その翌年だった。川を流れて死ぬのは、苦しいんじゃないかと考えてしまう。水の中で、息が出来なくて、溺れて死ぬのは、苦しい。口の中に水が入り、肺に水が入り、せき込んでも水が体から出せなくて、息が詰まって、死んでいく。死んでも誰も拾い上げてはくれない。ただ流されていくだけ。きっと海までは出られない。岩場にでも引っかかるか、木くずにでも絡まるか。そうやって腐っていって、虫だの鳥だのに食べられて、残りは水で流されるか、その場で朽ちて風に飛ばされるか。父は、老犬だったから、自ら死期を悟って川に流れていったんだと言っていた。僕も母もそうなんだろうと、父の話を飲み込んだ。それが二十数年前のこと。あの街で暮らした中で、もっともよく覚えている出来事。

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