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泥くさい人生でありたい

仕事で作家と会う機会が増えた。特に80代後半の世代。話を聞くと、素敵な言葉がぽろぽろ出てくる。帰り道は大体その言葉を思い出し、一人泣いている。生きるって力強いなぁ、魂が動くことなんだなぁとか何とか思いながら。私はどうも感情的な人間で、好きだと思う人たちはみな土に触れているかのように、大地のエネルギーを生きるエネルギーに転換させている。小手先の何かではない。安っぽい情熱なんかでもない。

ある作家は、楽することがいいことだという便利な世の中になったことを残念がっていた。便利は我々の生活を豊かにする部分もあれば、人間味を失うものにつながる部分もある。

サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。

千葉雅也のTwitter

このツイートがされたのは2022年7月5日(火)。
私がちょうどその作家と話した日だ。
これは便利とは異なるかもしれない。コストカット、コストパフォーマンスの良さを追求した先がこれだ。この店を批判したいわけではない。間違っているのは暮らしを味気ないものにさせているこの国。給料も上がらず、こういう形で人件費を抽出させている世の中がおかしい。
「世界は本当に寂しいところになった」
その通りだと思う。
その作家は、日本と海外の決定的な違いについても話した。メキシコが故郷のような人で、メヒコに行くと日本人が忘れてしまった大切なことを思い出させてくれる、そんなことも言っていた。日本人が「知らない」ではなく、「忘れている」という表現に私はまた悲しみを覚えたのだった。

そんな話を聞いたりしたりしていると、私はどうしても、そういう魂を忘れない人でありたいと思う。手間がかかれば無駄もある。スマートさとは離れたところにいる住人。汗をかいても速乾のTシャツじゃないからすぐには乾かない、じめっとした不快感も混在する、そんな生き方をする人。
泥くさい経験が血となり肉となって作る私の体が、人間味あふれる人型になっていてほしいと強く願う。

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