みっともない負け犬

「負け犬」と罵倒されます。反抗できるほどの気力もなければ現実的な勝ち筋もない。頷くしかない。血の混じった戦場の泥を舐める。唾液でベトついた手の甲。常に汚れたズボンの膝。目が上手く開かない。ラジオの音楽と雑音が内耳で踊る。人混みを歩けばみんなが勝手に道を空けてくれる。そこに存在しないものかのように扱われるよりかはいいかもしれない、なんて地に落ちた自己肯定感がかろうじて絞り出す。
「負け犬の遠吠え」とかなんとかいうコトワザがありますが、これは悪い言葉です。本当の負け犬は喉がカラカラで声なんて出ません。吠えるなんてもってのこと。「猿も木から落ちる」よくできたコトワザ。叫ぶ元気がある人は負け犬ではありません。まだ勝馬になる素質がある。諦めないでほしい。

巡ってきたチャンスを活かせない。しどろもどろしてる間に滅多打ちされる。私はまさに負け犬です。毒にも薬にもならない言葉を垂れ流し、その事実を噛み締めている。負け犬のなかでもみっともないと言われる負け犬が私です。
みっともない負け犬が生き残るにはどうすればいいのか、そもそも勝ち負けが存在する戦いに身を投じることがよくない。でも生活をしていくのって戦いみたいなもので……平穏な生活なんてないでしょう?
もしかして自分がいまいる世界というのは根本から間違っていて、私が知らない世界には争いもなく勝ち負けを気にする人だっていない、素敵な世界があるんでしょうか。
そんな世界が存在するならぜひご連絡ください。ご連絡を受けたあと、私からあなた宛に果し状を発送します。果し状を読む読まないに限らず、それが届いたことが試合開始の合図となります。
私が勝利すれば平穏な生活がある世界を教えること。この戦い、あなたにはなんの得もありません。むしろ損をするかも。でも私はこのチャンスを逃すわけにはいかない。今度こそ、私は勝馬になるんだ。

寿命が伸びます