デジャブへの安心感

映画を観ていると「あれ、このシーンどこかで観たぞ」な展開がある。配役や監督が同じだと自然とそうなってしまう。なかにはお遊びとしてあえてそのシーンを取り入れていることもある。直近だと、『ジョン・ウィック:コンセクエンス』の冒頭がまんま修行するネオと妙竹林なことを言いながら稽古をつけるモーフィアスそのもので笑ってしまった。
スタッフの遊び心としてのデジャブではなく物語のテンプレートとしてのデジャブも存在する。『フリー・ガイ』と『LEGOムービー』は冒頭の爽やかさは似ているもののまったく別の作品だ。どちらもお気楽な主人公が呆れるほど生活を楽しんでいる様子から始まる。頭が肥えた視聴者はこの時点で、ああこの主人公は良いヤツだけど若干お花畑なんだな、とSNSで流れてくる小動物のショート動画を再生している気分になる。この気分こそ、デジャブなのだ。このデジャブにわたしたちは物語への安心感を覚え、じっくりと没入する準備を整えることができる。
異世界ものが大流行しているのはこれでしょう。どこかで観たことがあるシーンに安心感を感じる。「ここまでテンプレ」は蔑んでいるのではない。ここまでは安心してご覧になれるシーン(ページ)だと視聴者を物語へと案内する丁重なガイドラインなのだ。

寿命が伸びます