失恋図書館No.3愛がなんだ

愛がなんだ(角川文庫)/角田光代

普通に付き合いだしたはずなのに、なぜかパシリのような便利な友達に成り下がってしまったテルコの恋の話です。
失恋話の蒐集家としてわくわくしながら読みました。
特筆すべきは、テルコが自分をすごく大事にしてない事です。
深夜、やっと家帰って頭洗ってる時誘われたら私は面倒くさくて断りたい、ねむい、、となります。
大事にされなきゃ悲しいし、惨めだし。。
こんなに相手は好きじゃないことを表現していて、夢がないのにテルコは何が楽しいんだろう?
もし、お相手のマモちゃんをテルコが好きじゃなくて、別の人を好きだったし今も好きだからマモちゃんに愛されなくても平気って言うならよくわかる。
でも好きな人に、足を置く踏み台みたいに扱われたら私は嫌だなーって。
テルコ変なのーって、思った。

マモちゃんは、ごく普通の、普通の人です。相手を利用することに悪気なくて、つまらん奴めって、思っちゃう。私は。

途中、マモちゃん、テルコ、そしてマモちゃんが片想いするまゆみが現れます。この三人の気持ち悪い三角関係の表現は素晴らしいです。是非読んでみてほしい。
弱くてもくだらなくても、生きているそこここにパワーバランスが存在するんだなあって思いました。

もし便利屋みたいな女の子がいて、まんざらでもない男の子がいて、くっついたりはなれたりしてても、まあそんなに悪いこっちゃないかもで。
たとえばバンドマンとバンギャとかから始まって、マネージャーになったりして、個人的な関係からオフィシャルな関係や、二人の関係から繋がった人脈からしっかり給与がもらえるような関係に自立していくなら、ありかなあと思うのですが。。生産性のなさが息苦しい。

テルコが付き合う面々がどうにもこうにも、束縛→逃走→テルコが相手を離さないのループなのが
どこがいけないのか、何がずれちゃってるのか。。
テルコに起因する何が彼女を幸せにしないのか?。。。それとも、まともな人との出会いによって一挙にこの方面の問題は解決し、今テルコは新しい視点からこの時のことを説明できる視点に到達してるのか。。?

色々思いを馳せ過ぎて失恋に集中できなかったです。
失恋しても無意識のうちに自分を大事にしている山田詠美先生の「トラッシュ」とか全然違うから読み比べると面白いと思う。

テルコは嘘が上手で、自分の周りの流れをマモちゃんに尽くすためスムーズに整えてて、私みたいなコミュ障とは全然違うわけです。
だけど、なんかその能力の無駄遣いでイライラしちゃう。
私はテルコを叱りたくなっちゃう。なんでそんな大事にしないのっていいたくなっちゃう。

テルコはこんだけ自分の気持ちを小説の中に表しているけどその姿形をありのままに彫ったら全然別のシルエットの姿が出てくるんだと思う。

レオナルドダヴィンチが石の塊から、「瀕死の奴隷」を浮き上がらせたようにテルコに見えないテルコのシルエットは一体どんな形なのだろうも考えてしまいました。

わたしは、そのシルエットに毛布をかける魔法がこの世にあったらいいと思う。

もしもし失恋図書館と言うことばに釣られてここに来た人がいたら、あなたが悲しくないように、あなたのシルエットに毛布の魔法がかけられますようにってここでお祈りしています。

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