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君の黒髪の乙女はいつかのサークルクラッシャー麻紀なのです--佐川恭一『サークルクラッシャー麻紀』

読書好きの父親の影響で幼い頃から活字に親しんでいたサークルクラッシャー麻紀はしかし小説に造詣が深い。読解力にも定評がありセンター 現代文も満点。趣味は読書とサークルクラッシュ。得意技はだいしゅきホールド。
佐川恭一『サークルクラッシャー麻紀』Kindle の位置No.29-31

 京都、いや、左京区の大学生のイデアを描いたのは森見登美彦御大なわけだけど、そのイデアをあらぬ方向から照らして映し出された影が『サークルクラッシャー麻紀』である。と私は語った。

 『サークルクラッシャー麻紀』と森見登美彦作品を並べるなんて、時すでに遅しだよぉ、という意見も少なくないだろうが、両者とも京都大学を舞台に女性に翻弄される非モテ男子大学生をリズミカルかつハイスピードで描く小説というスペシフィックな一大ジャンルの中にあるのでそれはもう諦めてください。とにかく『サークルクラッシャー麻紀』の「部長」は、『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』などに出てくる「私」と同じく、左京区に1000人くらいいる。桂にも結構いる。とりあえずそのへんにいる。そんで、「部長」=「私」という等式が成り立つ場合もあるのです。
 そして、この等式の存在によって、いま、演繹的に「黒髪の乙女」=「サークルクラッシャー麻紀」の成立が証明されました。突然こんなこと言ってごめんね。でも、本当なんです。何はともあれ、これは幾人かの黒髪の乙女とサークルクラッシャー麻紀に行きあい、私以外の構成員が全員男というサークルに所属していたこともある私がいうてるのでマジです。
 そんなワタクシが、以上の等式に絶望するであろう京都住み非モテ男子大学生に知って欲しいことは、ただ一つ。諸君には汚れを知らない乙女妖精や騎乗位狂いのセックスお化けのように見える彼女たちも、実際はほどほどの性欲とほどほどの承認欲求を持て余す生身の女だということ。彼女たちはストーキングまがいのアタックを繰り返す「私」や、押せども押せどもセックスをしてこない「部長」にすべからく踊らされています。
 「ならばなぜ『黒髪の乙女』と『サークルクラッシャー麻紀』は袂を別ってしまったんや!?」そう涙した方もいるでしょう。そんなあなたのため、端的に言っちゃいますね。それはあなた自身です。あなたが「好きすぎて彼女を性的な目では絶対見れん」くなれば、彼女は「黒髪の乙女」になるでしょう。しかし、あなたが「マジでエロい、一発やりてぇ」という気持ちを面に出したら最後、彼女は「サークルクラッシャー麻紀」化します。彼女はあなたを映す鏡なのです(ちなみに恋が実る確率も、セックスに達せる確率も実際は20%くらいなので、そこらへんは期待しないでください)。どうでしょう?少しは納得できたでせうか?

 しかし、もし「私」や「部長」が生身の女の揺らぎやすい精神を理解し、脳みそで股間を自由にコントロールできる男だったら今頃モテてモテてしょうがなくなり、こんな小説は一生書かれることはなかったでしょう。そうなるとつまらないので、これ以上の「ハヤシ相対性理論」への言及は一旦ここで手打ちにしますね。とりあえず、娘が寝た至福のひと時をこの文章に使ってしまうくらいに『サークルクラッシャー麻紀』はオモチロイので、ぜひ読んでみてください。

 


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