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役者じゃない部分のわたし

三度目まして、中村野々花です☺︎
最近役者をはじめましたが、同じく最近、社会人を復帰しました。今年度で社会人2年目です。
「お芝居を仕事にする」と思っていたわたしが、「お芝居のために仕事をする」と決めた。
そんな夏の公演前後の社会生活や仕事について綴ろうと思います。


つまりは"役者じゃない部分のわたし"の話です。


人生を見つめ直すと決めた、社会人1年目の春夏

わたしの社会人生活は初っ端から人生再スタートとして始まりました。「お芝居を仕事にしたい」をメインに人生設計をしていたのですが大学4年生に挫折の重なりによって適応障害になったことが原因で。
今は既に廃止されていますが、学生の頃は、
「教員免許更新制によって免許を更新・失効する時にお芝居で生活できていなかったら役者から高校教員になろう」と考えていました。
だから大学生活は少しハードで大学と並行してお芝居の養成所に通いつつ、生活のためにアルバイトもして。しかもどれもきちんと身が入っていて。
バイト先では所属部署のチーフがわたしの生活と働き振りをみて頑張りを認めてくださり、色んな仕事を振っていただき接客業が自分に向いていることを教えてくださりました。

しかし適応障害寛解後、原因の一つとなった役者と教員への挫折にその道を歩む選択肢を除外。
養成所も教員免許取得もそれに費やした時間や思いなど全て無駄にしてしまった感覚はあって。
療養している間に同級生に比べて就活が出遅れ、あの時役者も高校教員も諦めた自分の手元に唯一あると思われた選択肢は接客業だけでした。
もうどれだけ頑張っても同級生に追いつけないなら、いっそのこと自分のペースで自分と自分の人生を見つめ直そうと、
"自分に向いていること×私のバイブル文学作品"から仕事を決め知り合いもいなかった土地に独りで引っ越して、箱根にある星の王子さまミュージアムにて接客業に従事する運びとなりました。
お芝居をしたい気持ちには蓋をしたし夢を諦めたことへの未練も引き摺ってはいたけど、
やっぱり接客業は自分に向いていたし自分のだいすきな作品とそれを大切にしてくださる方とともに働いたり出会えたりすることは喜びで。
「人生を見つめ直すために芝居の道を諦めて接客の道を選んだことは本当によかった」と箱根で独り自分の人生を肯定していける日々でした。

また挫折を味わった、社会人1年目の秋
しかし2022年10月、星の王子さまミュージアムの閉園が決まりました。ようやく仕事にも慣れて楽しくなってきたなと感じられるようになった時期に。
「ここで働くことができてよかった」
「もっとここで色んな仕事をしたい」
どれだけそう思っていても、その思いとは関係なく、わたしがこの施設で働くことができたのは"最初で最後の一年"だけでした。
ミュージアムスタッフとしても、
いち星の王子さまファンとしても、
閉園へのショックが大きかったことは今でも鮮明に覚えています。そこから立ち直るのには時間を要して、ようやくミュージアムの閉園に向かってスタッフとして終わりを美しく飾ろうと思えた後、ふと自分に立ち返ってあと半年で仕事がなくなることを実感しました。
考えて人生を選んで、あの選択に満足できて、挫折から立ち直りかけてもまた心折れて、なんともいえない暗闇を味わいました。

再び人生の選択を迫られた、社会人1年目の冬
閉園発表から仕事は日に日に忙しくなりました。その中でも次の働き口を探さなければなりません。
「社会人1年目で会社都合によって職を失う」ということは自分だけでなく家族や友人も心配していて、早く決めて安心したいと焦りました。そして就活の中で職務経歴書を用意する時も"社会人1年分の職務経歴"への心許なさに焦りを感じました。
閉園発表後の職場環境は目まぐるしく変化していてそれに試行錯誤しながらも適応していけたことは、適応障害の経験も相まって自分が強くなった証かもしれないと思いました。
でも"自分にとって本当に糧となった一年"は、
"企業にとってはたかが一年されど一年"に受け取られているように感じて。
選んでよかったと思えた人生の選択肢を手放さなければならない。
自分は選択肢の基盤となる部分をどれだけ積み重ねてきたか知らなければならない。
その上でどんな人生の選択肢を手に入れたいか改めて考え直さなければならない。
就活は難航し、選択肢を考えて選び取る日々はしばらく続きました。

社会人を名乗れなくなった、社会人2年目の春
2023年3月上旬、どう頑張ってもブランクを空けずに次の仕事にうつることはできない段階に入りました。端的に言えば4月から失業者にならざるを得ない状態です。
閉園も間近になり仕事の忙しさもピークを迎えるし、閉園にはきちんと向き合いたかったので、社会人1年目の春は就活を休みました。
でも「自分の就活ではなくミュージアムスタッフとしてミュージアムの最期を美しく飾る」という選択は今でもよき選択だったと思っています。閉園日や閉園間際で起きたお客様との出会い・再開は滅多にない経験・感情だったから。

ただ閉園とそれに伴う退職後、やっぱりわたしは失業者となって社会人ではなくなりました。
会社都合という自分の意思ではないところで、会社によって社会から弾き出されて。社会の中で働けず社会的役割を持つことのできなかった失業者として失業保険をもらいながら就活をする過程で、公的書類の職業欄で"無職"を選択する時の複雑な気持ちは未だに消化しきれないものがあります。失業認定を受けるために通うハローワークの待合室で周りを見渡した時に同年代の人がいない心細さも。滅多にない経験・感情だったけど、できることならもう味わいたくないかなと。
失業と求職によって同級生に比べて社会人生活に遅れをとり、あの時仕事も社会の居場所も失った自分の手元に唯一あると思われた選択肢はこれまでの自分自身にとことん向き合うことだけでした。
だから過去に蓋をしたお芝居と向き合いました。
"もう一回芝居の道を選択してみたい"
"あの時の役者になりたいを叶えたい"
それが役者をはじめるきっかけとなった舞台に繋がりました。
ただその時は「この公演で役者への未練を絶って、美術関連やミュージアム事業の会社に正社員として入社したい」と考えていて、稽古期間中は平日は就活して、土日に社会人劇団の客演としてお芝居をしていました。

社会人を復帰できた、社会人2年目の夏
ただ稽古期間中にお世話になっていた劇団員さんや座組一人ひとり、そしてと自分向き合う中で、
「やっぱりお芝居を続けたい」と思うようになり、役者への未練を断つことはできませんでした。

お芝居ってめっちゃ楽しい。
舞台の上に立って表現の世界に入り込むと自分はありのままの自分でいられる。
表現の世界に居続けたい。

だから就活の方針も変えました。
はじめは正社員かつ役者。でもそれは就活の中で信頼関係が薄い中で受け入れてもらうことはできず、
「自分のやりたいことをやるために安定の道を手放さなければいけない」と気付きました。
安定の道を手放すのって怖いと思いました。でもよくよく考えたら
「職を失う時は正社員もアルバイトも大して変わらないから安定の道なんてないんじゃないかな」と。私はそれを社会人1年目で経験的に知っていると知識的なものより強い直観を感じました。やっぱりあの一年はたかが一年されど一年ではなかったのです。
だからフリーターかつ役者へ方向転換。その中で大学時代のアルバイト先のチーフに相談しました。その結果有難いことにこれまでの信頼関係の中で受け入れていただき、
「なるべく自分のやりたいことができるように、なるべく安定に近い形で、向いていることも含めて仕事をする方法を手に入れられる選択がある」と知りました。
その結果、"平日は民間学童のコーチとして働いて、土日に社会人劇団の劇団員としてお芝居をする"という選択をしました。
学生時代に無駄にしてしまったと思われた、養成所と教員免許もまた自分の人生に役立てて。
なんだかなりたかった自分になれる人生を選べたと思いました。半年以上かけてようやく決まった人生の方向は、時間がかかってしまったけど、これまでにない素敵な人生の選択になりました。

こうして2023年8月から「だいすきなお芝居のために自分のやりがいにもなるお仕事をする道」を私は歩み始めました。
自分の意思で、会社に属しながらフリーターとして社会から少し自由な立ち位置にも属しつつ、社会的役割を持ちながら社会人かつ表現者であり続ける選択をして。
役者もはじめたし社会人復帰も果たしました☺︎


思い描く、社会人2年目の秋とこれから
まずここまでの長文を読み切った方がいらしたらお付き合いくださってありがとうございますとお伝えしたいです。本当にありがとうございます。
季節は巡るし、時も早く過ぎ去ります。
でもやっぱりわたしは自分の人生において、良いも悪いもすべて含めて、何が起きても「たかが一年されど一年」と感じるような日々ではなかったと思って生きています。起きたことを人生の糧として時間かけても役立てられるようにいつかはカタチにしていきたいと思って生きているので。
だから中村野々花として綴る記事として、長文でも駄文でも自己満足な自分語りでもいいから書き留めておきたかった次第です。

ここまで試行錯誤してきた中で、直観的に、
「社会人になれば生活のほとんどが仕事だからそこにやりたいこと・できること・向いていること・なりたい自分を詰め込むと人生は納得いくものになるのではないかな」とわたしは考えます。
でもこんなにいろんなものを詰め込んだ"自分にとっての人生の最適解"を出すのは簡単なことではなくて。
そしてきっといつかこの最適解もどこかで最適解でなくなる時が訪れるわけで。
でも自分に積み重ねてきたものがあるのなら、それをどうにかこうにか組み合わせてカタチを紡いでいけばどうにかなるのではないかな。
どうにかしてきたなら、どうにかなるのではないかななんて思います☺︎ここまで読んでくださった方ならなんとなくそれを感じてもらえるんじゃないかなってわたしは思いたいです。
そしてここに至るまで色んな方に支えていただいて助けてもらったのですが、それを含めると本当に長くなるので柴田ののかで綴ろうと思います。

みんながやりたいことを悔いなくできる人生を送ってくださったらいいなぁ。そう願います。


役者じゃない部分の中村野々花

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