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オンナの哲学 -「考えすぎ」を考える

悩みの中にあって、言われて一番嫌だったこと。
それは「考えないほうがいいよ」という言葉だ。
気の毒に思ってのことだろうが、私にその慰めは全くフィットしなかった。

そんなこと、言わなくてもわかっている。できるのなら苦労はしない。
考えまいとしても考えてしまってつらいのに。考えても解決しないことを延々と考えてしまって苦しいのに。
苦しさを吐き出せたと思ったら「考えすぎだよ」と言われ、考えてしまう自分を否定されたように感じて余計に苦しくなった。

考えすぎ。
真面目すぎ。
もっと適当に生きればいいのに。

あまりにも言われすぎていい加減うんざりしていた時、ふと思った。

考えること、真面目なこと、真剣に生きること。どれも悪いことではない。むしろ称賛され、規範とされてもいいことだ。
なのに、何で悪いことみたいに言われなきゃならないの?ムダなことをしているみたいに、損しているみたいに言われなきゃならないの?考えず不真面目に適当に生きることを善しとする、幼稚な不良自慢みたいな奴に何で説教されなきゃいけないの?

猛烈に腹が立ち、そして気づいた。
私は真面目に真剣にどう生きることが自分らしいかを考える“タチ”なのだ。
それは私の個性であり、美点であり、才能なのだ。

それからは、考えまいとすることをやめた。
逆に、とことん考え抜いてやる、と決めた。

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考えがネガティブスパイラルに入って苦しくなることは、多々ある。
でも考えること自体はやめられないので、そんな時は”考えたくないこと”を考えなくていい状況を作ることにしている。

私にとって一番効果的なのは、趣味の映画をひたすら観ることだ。
映画やドラマをひたすら観る。一日中、ひどいときは何日も睡眠時間を削り観ているもの以外のことは何も考えず、取り憑かれたようにひたすら観る。

そしてそれに疲れ果てて寝落ちし、目覚める時の夢うつつな瞬間などに、意外にも気づきを得たりするのだ。

私にはこのやり方が一番フィットする。もちろん瞑想もマインドフルネスも試したし、あの“境地”は確かに心地良いが、考えすぎの私にとってはあそこに至るのはとても困難で、続かなかった。
根っからの体育会系で自分を追い込むことで限界を突破してきた、そんな私ならではの方法なのかもしれないけれど。

考えすぎてしまうのなら、とことん考えて考え尽くそう。
それは真理を求め続けるという才能だから。
その先に、必ず求めていた“答え”があるから。

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