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オンナの哲学 -女の力その1

オフィスビルの受付として働いていたころのこと。
夏の暑い日のことだった。

その日A氏と面談予定のお客さまから「近くにいるが道に迷ってしまったようだ」と電話が入った。
その方が今いる場所を確認し、道順を説明したがなかなかうまくいかず、何度か電話を受けては説明するを繰り返した。

面談時間ギリギリにようやくお客さまが到着され、私がA氏の待つ部屋まで案内することになった。
そのお客さまは、当時で50代半ばくらいだっただろうか。人のよさそうな、誠実そうな方に見受けられた。真夏の日中にコンクリートジャングルを20分も歩き回ったせいで、汗だくでスーツは乱れ、時間には間に合ったもののとても動揺しているようだった。詳しくは知らされていなかったが、A氏とはこの日が初対面で、自社を売り込む商談とのことだった。

ここからは私の妄想が大いに含まれるが。
中小企業のトップなのかいち営業マンなのかは分からないが、社運がかかっているかもしれない商談を前に慣れないビジネス街で道に迷い、すっかり気が動転してしまっている。この状態で商談に臨んでもうまくいかないだろう。このままの状態で若く知的でいかにも紳士なA氏を前にしたら、すっかり委縮してしまうに違いない。気の毒に・・。

受付からエレベーターまでの10歩とそこからA氏の待つ4階までの短い時間に、私はそんなことを思っていた。
そして4階でエレベーターのドアが開き、フロアに降り立った瞬間、私は無意識にこう言っていた。

「お客さま、洗面所をお使いになりますか?」
運よく、4階のエレベーターの隣には男性用手洗いがあったのだ。

お客さまはハッとしたように一瞬私をご覧になり、「助かります」と会釈して入って行かれた。そして何分も経たないうちに出てこられたお客さまは、顔を洗い髪とスーツを整え、パリッとしてすっかり落ち着いていた。
後から面談室にアイスコーヒーを持って行ったが、そこでは若きエリートと威厳あるベテランの2人が和やかにビジネスをしていた。

帰りに受付に立ち寄って下さったお客さまの様子で、商談がうまくいったことはすぐに分かった。
彼は私の目をまっすぐに見て「ありがとうございました」と言ってくれた。そしてビルに駆け込んできた時とは別人のように、堂々としていて物腰の柔らかい大人の男性として、悠々とビルを出て行ったのだ。

これはもう10年以上前の話だが、いつ思い出しても胸が熱くなる。
それは、私が「私の気遣いには力がある」と確信した瞬間だったからだ。

子どものころから私は、人の気持ちや状況によく気付く方だった。
厳しい体育会系の環境でそれは磨かれ、相手が言葉にする前にその相手のしてほしいように動くことは、もはや呼吸をするように当然のことだった。
でもこの経験をするまでは、私のこの上下関係をわきまえた従順さからくる気遣いを“体育会系の特徴”の中でもオマケくらいにしか思っていなかった。

でも、それは違ったのだ。
ほんのささいな取るに足らない出来事だったがのかもしれないが、私が相手の状況を私なりに思い遣って相手のためにしたことが、喜ばれた。私の行動が相手の役に立った。もしかしたら、窮地を救ったのかもしれない。

相手の気持ちや状況を、スキャンするかのように一瞬で予測し判断する。私ができる相手にとっての最善のアクションを、私の中の“思い遣り”の引き出しから取り出す。
この“細やかな気遣い”は間違いなく私の才能であり強みだと、今は断言できる。

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