ボイプラから考える、人の命と未来、推しへの愛


2023年4月20日。
KPOPサバイバルオーディション番組「BOYSPLANET(以下ボイプラ)」が最終回を迎えた。

それを受けてこの記事では、推し活に関するほんの少しの恨み節と、心からの推しへの愛を語りたいと思う。

前回の記事はこちら。


ボイプラファイナルがあった4月20日には、どうしても避けては通れない悲しいニュースも報道されていた。
私はKPOPのことをほとんど知らない新参者で、その立場でお名前を出すのは少し憚れるため割愛するが、とある、経歴と実績を持つグループのメンバーの訃報が届けられたのである。

病気だとも事件だとも知らされなかった為、おおよその死因についてもあちらこちらで推測されているが、憶測で物事を語り拡散することは故人に対して失礼にあたるだろう。
まずは故人を追悼し、心からの冥福を祈りたい。

多くの人が悲しみに暮れ、KPOP関連の様々なイベントやコンテンツの更新に関して、延期や中止の発表がなされていた。
その中でのボイプラファイナルであった。

結果としてボイプラは延期や中止をすることなく予定通り決行することとなったのだが、それについてもさまざまな議論がなされていた。

 故人を悼むために延期すべきではないか。
 大きなプロジェクトである故に延期は難しいのではないか。
 練習生たちにヘイトが向いてしまう可能性もあるのではないか。

どの意見も共感するものばかりだ。
しかし私の心は、ある人の投稿が目に入った瞬間から、怒りの感情に取り憑かれてしまった。

「練習生たちを批判してしまいそうな人はボイプラの放送を見ない方がいい」

Twitterのおすすめタブに表示された、一見思いやりがあるようにも見えるツイートをしていたその人は、過去に私の推しをしつこく批判し、私たちファンのことまでバカにするような投稿をしていた人だった。
「あの人の生存に納得いかない人はマシュマロ送ってきてください」
などと言って、匿名のメッセージまで募集していた人だ。そのアカウントのアイコン画像を、忘れられるはずがなかった。
※マシュマロ=主にTwitterで用いられている匿名メッセージフォーム


私の激情を表現するために、あえて、強い言葉を選択させて頂こう。


お前たちは、人が死なないとわからないのか。





ボイプラから考える、人の命と未来


私には、自分がサバイバルオーディション番組を見るにあたって大切にしていることがある。
それは、どの練習生のことも批判することなく、なるべくいいところを見つけられるようにしよう、ということだ。
そもそも人の人生を娯楽として消費しようというこの手のドキュメンタリー番組が苦手なのだが、やむを得ず楽しむことになった際には必ずそうしようと決めている。
我々が人の人生を娯楽として消費させていただく代わりに、練習生たちは人生において大きなチャンスを得ることができる。それがサバイバルオーディション番組というものだろうと自分に言い聞かせながら視聴しているのだ。

その私の性質とボイプラの編集との相性は最悪だった。
そして、私の1pickであるチョンイチャンという人間とボイプラの編集もまた、相性が悪かった。

少しだけボイプラ運営側にも寄り添った書き方をすると、そもそも98人も参加者がいる中で、全員のストーリーを丁寧に描くことはまず不可能だ。
分量の差も当然出てきてしまうし、放送する上でわかりやすく印象的なシーンがチョイスされるのは仕方がないことだ。

それでいてボイプラの方針は、私の印象では、なるべく人の悪いところを放送しているように見える。

私の推しの話で言うと、3話4話についての話は前回の記事で詳しく書いたのでもしよければそちらを覗いて頂ければと思うが、脱落直前の8話でも、彼は悪い部分だけを放送されている。

おっとりした仕草やぼやぼやした喋り方は彼のチャームポイントであり可愛くて仕方がない部分なのに、それを「モチベの低下による態度の悪化」という演出を施されてしまったのが悔しくてたまらない。
モチベの低下と彼のチャームポイントに因果関係はない。

正直、モチベの低下もシステムのせいだと思う。


悪いところや失敗したシーンの後にはそのイメージを払拭するシーンもセットで紹介するのが人情というものだと私は思うのだが、ボイプラにその人情はない。
悪編!とまではいかないながらも、誠意のかけらも全く感じられない編集が随所に施されていた悲しい番組だ。

そんな番組だったのだ。

自分のお気に入りの練習生のイメージが下がる放送だった時だけ「悪編だ!Mnet燃えろ!」と騒ぎ立て、私の推しのことは「こいつは叩いてOKなやつ」という認識だった人がそれなりにいたことを私は許さないだろう。
彼女たちがそれを自覚し、反省してくれるまでは。

最初のグループバトルにおいて体調不良でステージをうまくこなせなかった推しを見て、それを無遠慮に批判するひとたちをみて、私がどれだけの恐怖を覚えたか、どれだけの人に伝わるだろうか。

もしも彼がこの番組で名誉を傷つけられ、彼の目指す道が閉ざされてしまったら。
もしも彼がこの件で心に傷を負い、音楽の道を諦めてしまったら。

そういう恐怖を覚えたことを、どれだけの人に理解してもらえるだろうか。


命さえあれば、未来はきっとなんとでもなるだろう。

しかし、多くの人が無遠慮に人の未来を奪おうとするならば、命があってもなお、それは難しいのかもしれない。

「命さえあれば未来はなんとでもなる」と、そう自信を持って生きられるような世の中を作ることが、我々大衆が担うべき役割なのではないだろうか。

奇しくもこの日にボイプラファイナルが行われたからには、人の命と未来について、大切に考えたいと思う。

私の推し、チョン・イチャン


暗い話ばかりしていたら気分が沈んでしまうので、ここからは推しへの愛をひたすら語ろうと思う。

いろんなことがあったボイプラだが、私はイチャンから沢山の幸せをもらった。
我らがチョンイチャンは私の心配をよそに、どんどん先の道へと歩み始めてくれたのだ。

ボイプラファイナルには今までに脱落していった沢山の練習生たちが観覧席に座っていたが、そこにイチャンの姿はなかった。
どうしてしまったんだと少し心配していたら、ファイナルの放送の最中に彼はインスタのストーリーを更新した。
どこかのスタジオで、何かのレコーディングをしている様子の写真だった。

我らがチョンイチャン。
わたしのチョンイチャン。

君は私にとって本当に最高のアイドルだ。

春、愛、桜、じゃなくて、チョンイチャン


ボイプラでのイチャンの物語の中で、必ず語り継ぎたいと思うステージがある。
「Not Spring,Love,or Cherry Blossomes」
日本語で「春、愛、桜じゃなくて」と訳されるその曲は、まさに、満開の桜の花のような素晴らしいステージであった。



この曲の原曲を歌うのは、HIGH4&IU。
私が韓国の音楽を知らなすぎるのが恥ずかしいところだが、このIUという人はとても有名な歌手らしく、私がイチャンを知るきっかけとなった「I-LAND」というオーディション番組のシグナルソングを歌っていたこともある人だ。

I-LAND出身のイチャンが、I-LANDのシグナルソングを歌っていたIUの曲を、ボイプラでカバーするだなんて!夢があるじゃないか!
ファンとしてはとても胸が熱くなる展開だが、イチャンがこの曲を選択した理由はこうだ。

ボイプラ6話より

「1番やりたい曲を選んだら押し出されそうで、こっちを選びました」

※順位の下の者から順に曲を選び、順位の高いものは低いものを押し出すことができるというシステムだった

…理由が消極的すぎる。

なんてかわいいんだろう。

こういう、オタクの思うようにならないところがイチャンの最大の魅力だと思う。
本当に何が飛び出すのか予想がつかない。見ていて飽きない。とてもかわいい。

イチャンの狙い通り、無事に押し出されることなくこの曲を選択することに成功したイチャンは、イ・ダウル、パク・ドハとの3人でこの曲のパフォーマンスをすることとなった。

練習生歴6ヶ月のダウルと、俳優だったドハ。
そして前回のステージで体調不良からうまくステージをこなせなかったイチャン。
この3人はマスターからも「ある意味アベンジャーズ」などど言われてしまう始末だった。
(もちろんマスターからのいじりは愛のあるいじりだが)

ある意味アベンジャーズの春愛桜チームだが、イチャンはいつの間にかこのチームのリーダーになっていた。
リーダー決めのシーンがカットされていたのは寂しかったが、リーダーとなったからにはチームのインタビューを受けることになり、必然的に放送にもたくさん映ることになる。それまで分量に恵まれなかったイチャンにとってはとても喜ばしいことだ。

インタビューの様子がこれだ。

ボイプラ7話より


…ものもらいが出来ている。

今まで見てきたイチャンの中で1番変な顔になっている。

なんてかわいいんだろう。


放送分量に恵まれてこなかったイチャンにようやく分量がもらえるチャンスだったのに、イチャンのビジュアルの良さが全く伝わらない放送となってしまった。
本当に残念だ。
しかしそんなところもまたかわいい。
チョンイチャン、罪な男だ。

マスターからは「ある意味アベンジャーズ」と言われ、視聴者からも、このメンバーで大丈夫なのか?と心配されていたこのチームだが、ボイプラ史上最も平和と言っても過言ではないほどの穏やかな練習風景と、幸せでいっぱいのステージを披露してくれた。

俳優経験のあるドハと、ミュージカル科出身のダウルがこのステージの空気感を作り上げ、調子を取り戻したイチャンの甘い歌声が多くの人の心を魅了した。

…と、思う。

正直私にはこのステージを客観的に見ることなど不可能だ。

イチャンの歌が好きだ。
彼が作ったと思われるコーラスアレンジが好きだ。
歌声に集中するシーンで少し目線を下げて歌う彼の癖が好きだ。
チョンイチャンの全てが好きだ。

素晴らしいステージを見せたチョンイチャンは現地の投票でチーム内一位に輝いたが、彼は、大声で喜ぶこともなく、隣で自分ごとのように喜んでくれるダウルに、ただされるがままに揺さぶられていた。


ボイプラ7話より
ボイプラ7話より

「좋았어요(よかったです)」


そう言って小さくはにかんだ彼の表情を見て、私はますます、彼のことが好きになった。


彼の歌の向こうに見えた景色


ここから少し自分語りになってしまうのだが、ボイプラ7話の放送があった夜、布団に潜ってイチャンが見せてくれたステージの動画をループ再生しながら、私は自分自身の過去の情景を思い返していた。

それは、学生時代の放課後の音楽室だ。
私はそこで、合唱部の部長として、友人たちと共に歌を歌っていた。

その当時は何度目かの吹奏楽ブームが来ていた為に、合唱部の部員数は10人にも満たない小規模の部活となっており、部長と言っても、友人たちとくじ引きで決めたような名前だけの部長であった。
部員数の少なさから本格的な合唱曲に挑戦することはできなかったが、下手なりに鍵盤を弾いて音程を取り、友人たちと一緒に歌を歌うことが本当に楽しかった。

あの頃、自分はこの先ずっと音楽が好きで、毎日大好きな歌を歌って日々を過ごすんだろうと思っていた。

大人になった今、特に新型コロナウイルスの流行期間には、友人とカラオケに行くことすらなくなり、歌うことの楽しさなど忘れ、推し活だけが自分の生き甲斐になっていたように思う。

イチャンは、私が推し活をしていて辛かったことや悔しかったことを、素晴らしいステージを見せることで全て払拭してくれて、その上で、私に"音楽が大好きだった頃の気持ち"を思い出させてくれたのだ。

そんな彼を“アイドル”と呼ばないならば、私は“アイドル”という言葉の意味がわからない。

もちろん、他にも魅力ある人たちはたくさんいるし、私がアイドルと呼びたい人はイチャンだけに限らない。

けれどもあの日、イチャンの歌だけが、私に"あの頃"を思い出させてくれた。

私の目に映るチョンイチャンの姿は、紛れもなく"アイドル"だったのだ。


私は、前回のnoteをこのような文章で締め括った。

ボイプラが終わった後の彼がどうなってしまうのかはわからないが、私はできれば、また新しい曲を出して、あの時のようなイベント(ファンミーティング)を開催して欲しいと思っている。

以前より少し増えたファンの前で、自分の得意な曲をご機嫌に歌い、あの穏やかな声で、またお気に入りの香水などを紹介してくれる日を、楽しみに待っているのだ。

チョンイチャンは“最悪のメボ”だったのか【後編】


しかし今、私はこの時よりも少しだけ欲深くなった。
彼の歌をもっと聴きたいと思った。
彼の作る音楽にもっと触れたいと思ってしまった。

彼がソロアーティストとして活動するのか、音楽プロデューサーとしての道に進むのか、もっと別の道が待っているのか、今は何もわからない。

けれども、必ずこの音楽の道で、彼の才能が評価され続けることを心から祈っている。


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