欅坂46・櫻坂46とは菅井友香の轍なのかもしれない

初めて彼女たちを見た時の感情は、「かわいい」でも「綺麗」でもなく“表現者”だと思った。自分がどう見えるか?ではなく、自分達が作り出すものがどう見えるか?どう人に届いているのか?を追い求めているプロ集団。それが、欅坂46との出会いだった。

当たり前のようにデビューシングルで世間の『アイドル』像を大きく変えた。
笑わないアイドル、軍服を着たアイドル、若者の反抗を謳うアイドル。

ひよこは初めて見たものを、親だと認識してついて行くのだという。
この刷り込みは、ひよこに限らない。
例えば新しいお菓子が発売されたとき、その広告が最初に打ち出したイメージで人は認識を行う。「やっぱり何か違うかな」と思って変えようとしても一長一短で変わるものではない。

欅坂46もその後、前向きな曲や儚い曲も歌うことになるのだが、世間が彼女たちに求めていたものはそうではない。社会への、強いアンチテーゼだったのだ。
秋元康さんの坂道シリーズの楽曲には、悩みを持った現代を生きる主人公がいる。
欅坂46のこの悩みを包み隠さず表現し、どうしようもないことも伝え、多くの人々の共感を得るような主人公だ。

悩みを代弁し、表現すると言うことはとてもしんどいことだ。
その気持ちに寄り添えば寄り添うほど自分自身の心が蝕まれ、自分とは何か?誰かを助けられているのか?を自問自答することになる。
 
欅坂46はそんな期待に応えようと表現をするのだが、表現者たちの気持ちが蝕まれ、不和が生まれ、最終的には改名という形をとることとなる。それが櫻坂46だ。
 
 
こんな大変なグループで、約7年のもの間キャプテンを務め、
まとめあげた菅井友香さんが先日グループを卒業した。

ライブからおよそ3週間経った今でも、どう言葉にしていいのかわからないぐらい感情がまとまらない。

菅井さんのことを応援したいと思ったのは、欅坂46の3枚目のシングル「二人セゾン」で輝く菅井さんを見つけた時からだ。 
まだグループの方向性も決まりきっておらず、ただ表現力だけでグループが大好きだった私が、二人セゾンのラストサビで輝く横顔を見つけてから菅井さんの大ファンだ。

グループきってのお嬢様で、人に気を遣ってばかりの彼女がキャプテンに任命された時は、「大丈夫なのだろうか」と本当に思った。
キャプテンは、きっといいことよりも大変なことの方が多い立場だ。
多感な時期の人たちをまとめるなんてただでさえ難しいのに、こんなに尖ったグループのキャプテンなんて絶対辛いことしかないのではと思った。

案の定、欅坂46は世間からも冷たい言葉をかけられることも少なくなかった。
尖ったものを削ろう、押さえつけようとする日本人らしいことに幾度となく直面する。その度に菅井さんは謝罪や、自分の言葉で伝えようとしていた。

櫻坂46への改名タイミングは、彼女にとっても次のステップへ進める、いや言い方を悪くいうのであれば逃げられる一つのタイミングだったのに、彼女は新しいグループでもキャプテンとしてやりとげた。彼女のおかげで櫻坂46は、チームワークや明るさを取り戻したのだと思う。

先日、東京ドームでのラストコンサートで彼女が1人でスピーチを行う際に、自身の心の強がっていた部分、大変だった部分を涙まじりで話していた際に初めて本音が垣間見えた気がした。ただ、そのあとサプライズでメンバーがでてきた瞬間に、いつもの笑顔に戻り、涙ではなく優しさを伝播させていた彼女を見て、本当にすごい人間だと思った。

卒業ソング「その日まで」の歌詞の中で、“ありがとう”という歌詞じゃなくて
”ごめんね“という歌詞が繰り返しで出てくるのもとっても彼女らしい感謝やバトンタッチなのだろう。

SNSで他のアイドルメンバーが彼女の卒業コンサートに実は来ていて、長文の思いの丈の投稿や、タレントや著名人が自分自身でチケットを手に入れライブを鑑賞していたことを見ると本当に人に愛されていたアイドルだったんだなと。
 
テレビやSNS、雑誌のインタビューや書籍でしか彼女を知らないけれど、これからの彼女の人生が幸せなものであってほしいと本当に心の底から思う。

欅坂46という表現者たちに会えたのは、私の人生を何度も救ってくれ、励ましてくれた。本当に宝物だ。
櫻坂46という表現者たちはこれからどうなるのだろう?どんな未来を見せてくれるのだろう?

本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

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