見晴らしの良い地獄

最近考えていることを、適当に並べて書いてみる。

交友関係のこと。
相変わらず学部での交友関係は広がることはなく、私は一人で行動している。楽ではあるが、時々さみしい。私はもっと友達が欲しい。
ゼミが新たなコミュニティとしてやってきてくれたことがとてもありがたい。素敵な人ばかり。

学部卒業後の進路のこと。
私は大学院には行かない気がする。私が一番やりたいことは研究じゃない。もちろんあと4年くらいの学部での研究は楽しみだし、ちゃんと取り組みたいと思っている。でも、一番やりたいことは文章を書くことだ。私は文章が書きたい、自分の言葉で何かをしてみたいという欲がある。とりあえずいろんなことが落ち着くまでは、細々と書いていようと思っている。いつ落ち着くのかと言われると何とも言えないし、そんなこと言っていたらいつまでも書けないような気もしているけれど。

生活のこと。
また生活が破綻してきた、実家暮らしのくせに自分の部屋すら片づけられない。でも多分一時的なバッドで、多分近いうちに大丈夫になる、と思う。分からないけれど、多分大丈夫になるから、ゆっくり頑張りたい。もしできたら、片づけてから眠れたらいいな。

本が読みたい。
そのためにSNSをやめたい。

生きたいな。去年あんなに死にたくて、それでも何とか生きたくて生きた一年だったから、あの時の生きたさが、あの苦しさが今の私の背景にあると思うと下手に生きられない。しっかりしないといけない。あの時の生きたかった私に、私は誠実でいたい。あの時の苦しさを肯定できるくらいのまばゆさで生きてみたい。

過去の私のために生きているような気がでもする。過去の私はまだ私の中にいるというか、まだ過去として固まっていない今と地続きの過去たちがたくさんある。当たり前のことだと思う。それをひとつひとつ向き合って過去にしてみたり諦めて一緒に生きていくと決めたりすることが、今を生きることなのではないかと思う。私は生きたい。私の生を言葉にしたい。

バッドに入っていますが、私はわりと元気で、全然生きたいとか言えるテンションで、大丈夫じゃないのを笑ってしまえる私で、でもわりとつらくて泣きたかったりもして、私は私を全力で生きたいってただそれだけなんだよなあとか考えている。

めちゃくちゃ生きたい、希死念慮とか去年味わいつくしたので当分いらない、とか言ってみる。未来のことなんて分からないけれど、私はひたすら全力で生きていけたらと思う。

そんな感じ。絶望なんだけど、結構さっぱりしてて見晴らしの良い地獄です。愛なひとたち、私は超たくましく生きてるしいつでもなんでも頼ってね、バッドはあなたとの関わりには関係のない場所にあるし、あなたの絶望も苦しさも私には何の関係もないよ。

見晴らしのいい地獄というのは私がこよなく愛するZOCのCUTTING EDGEという曲のサビの冒頭の歌詞だ。「見晴らしの良い地獄這いつくばって 凡庸以下の私だからこそ 肌荒れた青春を 剝がされた清純を愛すよ 生き様なんて大層なもんじゃないかもけど」という歌詞が特にめちゃくちゃ好きだ。真っ当に愛されて育ってきたような人たちのような綺麗な生き方はできないかもしれないけれど、それでも絶望を抱えた私であることを受け入れて生きていくぞ!みたいな、劣等感も絶望も自己愛も全部ひっくるめて抱きしめてくれる感じ。私は私が恥ずかしくて、劣等感もすごくて、親とかの愛を沢山受け取りながら生きてきた人がとても羨ましい。でも、上手く愛を受け取れなかった私だからこそ見えることも紡げる言葉もあって、私は私のぜつぼうを生き抜いた私をとても誇りに思っている。私は私じゃない誰かになりたいと思いながら、私のままで生きたいともめちゃくちゃに思っていて、その矛盾が苦しくてでも私というかんじで、その矛盾も愛して生きていけたらって思っている。私は生きたい。地獄なのかもしれない、それでもいろんなものをしっかりと見つめていたいし、美しいものを美しいと言い続けたい。きらきらした場所に立てなくてもいい、私は誰よりなにより美しい地獄で私なりに愛を贈ったり贈られたりしながらたくましく生きていきたい、生にしがみつきたい。

では。君も可愛く生きててね。生きてるだけで私たち健気でかわいいはずだから、一緒に絶望見たりして手を繋いだり離したりしながら生きようね、いつでもなんでも待ってるからね、愛だよ。

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