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天まで届け したがき

デパスの耐性が戻ってきて効かなくなってきた。
効かないと言うより、追いついていないのだ。
この苦しみや絶望や不安や怒りの業火と憎悪に焼かれ苦しんでいる僕の苦痛を抑えるのに薬が追い付いていない、追いつかないのだ。

とはいえ普通の人の最大量で押さえているから悪い用法ではない。

だから追いつかないから苦しい。死にたいとしか未来に思えないのだ。
だから今が何も出来ない。

今日は本当にびっくりした。
金の為なら動く、遊ぶためなら動く僕がそれすらももういい、と体も心も拒絶して動けないのだ。

久しぶりだね。
こんな仕打ち。
嘘。
ずっとだ。

何かしらにずっと苦しめられ殺され続けてきただけだ。

残ったのは、もう動けなくなった僕だけだ。

・・・・・・

自分で自分の首を絞めている事

わかっておくべきだ。

言葉並べてもしょうがない、食っていかなければ意味が無い。
それの続きを、生かされた僕も考えるのがロックへの愛だ。

「人が言っている事よりもその人がやっている事が大事」
「その人が何をしているかがその人の正体」

みたいな言葉に最近の人は喜んでるけど、
全員、言わないだけで、やってんだよ。
全員、もれなく皆(みな)、やることやってるんだよ。

言わないだけ。言えないだけ。言いたくないだけ。言われたくないだけ。
言わせないようにしたいだけ。

わかっておくべきだ。

・・・・・・

今は毎日、吐き気、嘔吐。
全身に不安ストレスからくる緊張、頭痛、吐き気。

これでもストレス耐性は別の意味で強いと思う。
これを一日中繰り返している。
一日中蝕まれて、苛まれて、殺されている。

それでも自分が一番つらいと言いたい人は、自分の周りの人間がどれだけ発狂して血反吐掃いて壊れそうになりながらそれでも耐えて、耐えて、約束を守り続けて、果たして最中。それこそ戦っている最中。

よくそんな事が言えるなと僕から見れば思う。
逆からは見えないから被害者みたいに僕を悪者にしようと必死な人。

結局は、その通りになった。
その通りのやつに、わかってた、僕は殺された。

このまま何かしらの言いがかりつけて、これが傷ついた、これがこれがと、都合のいい理由を綺麗に並べて僕を否定すれば簡単。
それで完結、完了なんだろう。

チョロい楽な仕事やったな。人間って本当に欲、勝手。

人間なんて 信じるものじゃない。

・・

今、全員がそうやって見ている事も、それは今までずっと、

自分が何もせずに
すべて壊して破り捨てた事を、
事実を無視して、自分を正当化しないで欲しい。

人殺し

・・

一人でいたい訳じゃない。けど、一人じゃないともう何をするのも苦しい。

僕は適当な事は言いたくないし、嘘にもなりたくない。
そして本心はやはり、無責任な事は極力言いたくない。

僕が何か人や物事の、最後の最期までを面倒見切れなくても責任負えなくても、それでもいいなら話くらいは、聞きたくない。
当たり前だ。

相手にしたくない。

僕も同じ。

話にならなん奴は相手にもしたくない。

・・・・・・

案の定

そのやり方ね。

案の定

そういうやり方ね。

・・・・・・

音楽も楽しめない訳じゃない。

でも、いつまでも同じ、これも同じ。

最近は、今まで好んでみたり聞いたりしていたものが、少し、堪えられなくなってきた。

いつまでもそんな事言ってられないというより。

そんな事を言いながらも生きて必死にもがいて苦しんで傷ついてまた忘れてまた痛い思いや目を見てもしかしたら紙一重首の皮一枚で繋がれて。

それでもまだその次や次の瞬間にはまた地獄や敵が待っている。

「いつまでも同じ世界や風景を眺めている場合じゃないぞ」

なのだ。

同じ事で感動するのはね、そう、経験が無いから。少なすぎるサンプルだから。無知だから。幼稚だから。だから楽しめないのは人間としての後天的な本人の「いざ」の努力と、環境から学ぶ「教養」が無いから。

・・

僕は今すぐ死なない。

こんな事を書くのは、これはさすがに自意識過剰だ。

僕も、同じように、今までにやってきた。
散々色々もう笑えない話以前に、生きててよかったね、生かしてもらってよかったね、と言われてしまう事は、きっと墓場まで持っていけないくらいある。

よく痛い目見なかったね。
よく殺されなかったね。

これでも、痛い目は見ている。
死ぬほど、と自分では言いたい。
ここは主観で良い。

念を押すけど、自分軸とワガママの違いすらも壁すらなくなった今。
主観と自分軸でモノを語るは別だから。

・・

支払いに追われる。
追われると言うよりもう壊れてる。

・・

これが世の中だ。人間社会だ。

本当に、大人も子供も、すべての人間。
昨日今日、話をしている事が、明日明後日には変わっている事もある。

ここまで露骨できれいな手のひら返しなんて誰も自分の言動なんて覚えてもいないし覚えていたとしても無責任で適当な反応しかしないよ。
それくらい人の話や相手なんて真面にするものじゃないとも思う。

年単位で言えば別人のように変わったように見えるかも。

人間性はそう簡単には変わったり治ったりしないと言う人もいるだろう。

けど、それが答えなら、別にそれでいい。

僕には関係ない話だ。
僕に、関係が無い、うちは、関係ない話だ。

無関係のうちに、黙ってろ。

・・

僕は悪い事は言っていないと、自分では、思っている。

・約束は守りなさい

これは最初から一貫する必要性、変化する事への否定ではない。
それも人生色々だ。それでいい。

ただ、独りよがりで生きていくのなら、最初から一人でなければならないと僕は思う時が今でもある。
それこそ都合よく自分が助けてもらいたい時や辛いとき困っている時に何か何とかうまく助け船や拾う神がいたとして、その帰りに、私はそんな事、言っていません、そんなつもりでも、気もありません。

誰も助けてくれとも言ってませんし、見返りとカ期待してるんですか?
とか返されたら、人間なら親以外なら半殺しにされるよ。

仏の顔も何度目までか。修羅と化すから。僕も皆も気を付けよう。


・自分がすべき事と、家族の事はしなさい


※礼儀や愛を大切にしなさい。

これを「義理や筋を通しなさい」というと面倒になってきた。

「義理も筋も見え方見方次第で変わるだろう」
と言われる。
僕が普段言っている「俯瞰」や「客観視」を絡めて指摘してくる人がいる。
礼儀も多様性や多面性なら、しなくていいと思う奴がいるのもこの社会だ。

最低限度のマナーやモラルだと思う。挨拶や礼儀は守って通そう。

人間は死んでも変われない直らないと戯言を言う人もいる。
本当に簡単な事じゃないのだ。

どう生きていくか考えたい。

話が広がっていってしまうので次。

・連絡、話し合いはしなさい


※これは最低限度の安否やお互いの意識確認だと思う。
あとは自由。僕は自由ではないんだけど。
それでもまだ気に入らなくても、僕を悪者にして逃げ切れると思って堂々としてるって不思議。

・・

二か月くらいは音信不通決め込んで、僕を悪者にする自称違う、他称確信犯から、なんだかよくわからない連絡が来たけど。

生きるって大変。
仕事も人間関係も勉強も生活をするって大変。

自立も自力も無くて御免。笑ってないけど、ごめん。

でも、書いていたのを消したけど、やっぱり何か違和感しかない。
例え、例え何がどうあったとしても、友達とは会えて、大切な友達とは連絡も取れて、先週も先々週も連日で遊べて、平日は仕事や勉強や生活してるからと言って、音信不通の無下にしてそれを我が正義と押し通せると思っている思考が凄い。

それが間違っていない正しい理屈だと思ってるなら、最近使ったばかりの言葉だけど、まさに
「お里はどちら? 親御さんは何されてる方なんですか?」
と同じレベルだ。

・・

うちの鵜でも、最後は話をちゃんと合わせてくる。

平気で嘘ばかりついてくる連中でも、最後は話や約束を纏めてくる。

最近は10代20代の人達に怒る気はない。
黙っている方が、利点だと考えられるようになった。

これは家族じゃないから、他人だから、ここまで怒らずに優しくなれる。
不思議。

自分がしてきた事、自分も後片付けをしてこなかった事。
そんな事を僕も都合よくなかった事にはしないから。

そんな話と似ている。
だから、僕は初対面の若い世代の話を、最低限度は全力で聞いている。

・・

なんだかよくわからない連絡が来たけど、後の祭りだ。

子供と一緒だ。ただ僕らは大人だ。年齢的に大人だ。

その間に死んでるよ。

俺の恩人も、あなたの恩人も、家族も皆、とっくに死んでるよ。

昔から葬儀の時だけに来て泣く奴は信用できないと言っていたけど、それと似たようなもんだと思う。

僕も、じいちゃんに
「ごめん、間に合わなくて本当に御免」
と何度も泣いて謝ったし、今でも手を合わせている。

でも死んだ人は帰ってこない。

当然。当たり前の事を言っているだけだけど。

死んだ人は二度と戻ってこない。

壊れたものは元には戻らないと人はお前は言うけれど

都合よくご自身の勝手に好きにやれるように言うのが常套句だけれど、

それは、それも同じで、死んだ人間は二度と戻ってこないし壊れたものは元には戻らない。だから、死なないように、壊さないように、大切にするのだ。

「そこに愛はあるんか」

それは冗談や笑い話の台詞じゃないのだ。

・・

僕の支出は自分でもよく分からなくなる。良くない。
とりあえず今の答えは、総じて、オーバーしてる。

パンクしていないだけで、僕自身は壊れかけている。

正気でいるのは、今の僕と合って話もしていなければ分からないと思うけど、僕は生かされて強くなっているからだ。
賢くはまだ成れていないし、そんな事は一生続く人間の業や運命みたいなものだとおもうけど、確実に生き辛いけれど生き辛さから死ねなくなっている。

・・・・・・

みんな、ありがとう。

僕が生きたのは、今まで生きられたのは、みんなの力だ。
御陰だ。

みんながいたから、諦める事も出来た。
みんながいたから、地に足と言うか身の丈を知れた。

現実も少しは知れて見る事も少しは出来た。
夢見るままで生きながらえて、苦しむ末路より幸せだったと思う。

現実の中で、僕が一瞬でも生きてて幸せだった瞬間をくれた人たちには本当に感謝だ。

魂の在り処。
男として、武士の情けや誇り。

大事なことや思い返す風景に、お前はいないけど、
「きっとお前もこんな感じでいたんだろうな」
って思えたこと。

今になっても僕に連絡くれて熱い音楽やロックの話をしてくれた弟たち。
馬鹿でほんとうにいつまでも世話が焼ける兄貴にも。

かっこいいあいつ
大好きなお兄ちゃん
世界一の人達もお姫様も

ありがとう。

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