忘れてはいけない一生の支え

僕の祖父は一人娘の一人息子の僕を、自分の宝物のように大事にしてくれた。

過保護すぎるくらい溺愛して、最後まで僕ら家族を守って生かしてくれた。

今も僕ら家族は爺ちゃんの建てた家で暮らている。

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僕の爺ちゃんは、兄弟11人と自分の親。そして嫁の僕の婆ちゃん。
婆ちゃんの姉妹、そして僕ほ母親(娘)、そして僕の生活を面倒見ていた。

他人でも「自分の仲間」だと思った人を助けていた。

僕もその、やりすぎる性格を引き継いでいる。

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僕の大叔父さんも、爺ちゃんと少し似ている。

大叔父さんは口が悪く、短気だが、爺ちゃんと同じで気の優しい人だった。

僕の周りには、喧嘩が好きな人はいない。
爺ちゃんも喧嘩が強かったらしいが、爺ちゃんは喧嘩を自慢した事も、その腕っぷしを披露した事も無い。少なからず僕が産まれてからは一切ない。

大叔父さんも、最後の最期まで短気で口が下手だったけど、本当に面倒見が良かった。

大叔母ちゃんも一緒だ。
大叔母ちゃんは、言葉も優しい。

誰に対しても優しく、むしろ金を目当てにした人に騙されることもあったと思う。

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大叔母ちゃんは、おっちゃん(旦那さん)に対しては、キツイ言葉を言っていたらしい。
でも、それは内弁慶という訳ではない。
家族だからと言うより、旦那さんだから口に出てしまっていたのだと思う。

親しき中にも礼儀ありだが、どこの家庭、どこの夫婦でもある事だと思う。

僕は結婚はしていないけど、僕は爺ちゃんと同じで、どこまでも家族や仲間には甘すぎるのだと思う。

どこまでも優しく、優しくというより、甘えさせ過ぎてしまうのかもしれない。

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じいちゃんが認知症で完全に入院する時、軽い脳梗塞で僕ら家族の目の前で倒れた。

偶然、僕らの目の前だったので救急車を呼んで、そのまま日赤病院に運ばれて、そこから病院と施設に入る事になった。

それまで認知症はあったけれど、僕らと一緒に家で生活をしていた。
当然その介護は大変だった。

運転免許を返納させるのも大変だった。

ばあちゃんはまだ家事をしていた。
それまでの家事に加えて、じいちゃん介護、トイレの始末等、大変だったと思う。

当時はジョン(トイプードル)も居たので、大変だったと思う。

今はその時の事も婆ちゃんは忘れてしまっているけど、本当に大変だったと今の僕なら心底わかる。

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話は脱線したけれど。

じいちゃんが、日赤病院から、大叔父さんに宛てて手紙を書いている。
そこには

「りょうたを宜しく頼む」

と書いてある。

大叔父さんは、じいちゃんと幼少期から里も同じで、大叔父さんの兄貴と僕の爺ちゃんは兄弟分だったらしい。

面倒見がとことん良い、じいちゃん。
同じような、大叔父さん。

二人の奥さんである、僕のばあちゃん(祖母)とミチヨおばちゃん(大叔母)さんは偶然姉妹だった。

僕は3年前の爺ちゃんのお通夜で

「ごめん。じいちゃん、間に合わなかった。本当にごめん」
と泣いていた。

今回、大叔父さんが亡くなったけれど、僕はおっちゃんへの手紙にも同じような言葉を書いている。

「成長した姿を見せられなくてごめんなさい。
 強く大人になった僕を魅せて恩返しが出来なくてごめんなさい。」

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何も解かっていなかった子供な僕を、ここまで生かしてくれた二人に強くなっていく姿を見せる為にも、僕はここで倒れて負ける訳にはいかないのだ。

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