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なぜミラコスタで結婚式を挙げる人の離婚率がすごいのか

ミラコスタで結婚式を挙げる人の離婚率がすごいらしい。

先日、うちのスタッフの女の子たちがその話で大いに盛り上がっていた。

その話を聞いたときに
「あー、なるほどなぁ」と、
なんとなく腑に落ちた。

今日はちょっとそのことについて話します。

恋愛系のドラマ、映画、アニメ、マンガなどで、結婚を「ゴール」に設定することが圧倒的に多い。
その影響があってなのか、現実世界でも結婚が「ゴール」と考え、結婚に「憧れ」を抱いている人も多い。

実際、現実はどうかな?

僕が考えるに、
結婚とは「生活共同体」である。

「ミラコスタ離婚」をした人にインタビューしたわけではないので、実際のところは分からないけど、おそらくこういうことだろう。

「ミラコスタ=夢の国」
「結婚生活=生活共同体」

「夢の国」と「結婚生活」の間に
とんでもないギャップが存在するからだ。

結婚というのは、泥臭い生活そのものであり、決して夢の国のようなものではない。
必要な生活費、子供が出来たら養育費、諸々の習い事などの教育費用。
どちらかが病気になったらどうする?
お互いが病気になったらどうする?
子供が重い病気になったら?
どちらかの両親に介護が必要になったら誰がどうする?
実際の介護は?お金は?
お互いの両親がみんな介護になったら?
親では無く自分たちに介護が必要になったら?
将来の不安。
老後の不安。
子育ての不安。
お金の不安。
お金じゃない部分の実行ベースの不安。
それだけの不安と問題を抱えながら、笑って幸せに暮らせるのかどうかの不安。
税金、年金、保険、etc…

心配や不安というのは、考えれば考えるほど沼にハマっていく仕組みであり、ほとんどの場合は考えるだけ時間の無駄。
しかし、一人ではなく、家族として協力しながら、ちゃんと現実的に問題に向き合っていける関係でないと不安は取り除くことは出来ない。

結婚というのは、おそらく君が思うような「ゴール」ではないし、そんなに「憧れ」を抱くような立派な代物じゃないだろう。

そりゃ家族を持つのは、もちろん素晴らしいことだよ。
一人はさみしいしね。
何より子どもはかわいいし。
でも、「素晴らしいことの量と同じだけの量の苦労がある」と断言していい。

「ミラコスタ離婚」をした人は、「結婚生活=生活共同体」に対して、少し認識不足で淡い期待を持ち過ぎていた、または、精神的に準備不足だった人が多いのかも知れないね。

家族という関係を長く続けるのは、簡単なようで本当に難しいことだ。

まずはパートナーについて。
パートナーは血の繋がりの無い赤の他人なのだから、価値観も考えも完全に一致することなどあり得ない。
すれ違うのは当たり前の中で、それでも最善の関係を築けるようにお互いが努力をしなければならない。

子どもはどうだろう。
パートナーに比べ、子どもは血の繋がりがあるから、無尽蔵に愛情を注げるだろう。
だけど、子どもだって性格も魂も違うから、子どもが大きくなるほど、親は子どもと上手く付き合っていけるように努力しなければならない。
子どもというのは、決して自分の分身ではないし、ましてや自分の所有物でもない。
どれだけ小さな子どもでも、一人の人間として上手く付き合っていかねばならない。

最後は親。
一番感謝の気持ちをおろそかにしがちなのが親だよね。
ご飯を食べさせてくれる。
教育を受けさせてくれる。
欲しいものをねだったら買ってくれる。
あれもこれもしてくれる。
その代わりに、「わかってる」「うるさい」と思うような小言や、言われたくないこともバンバン言われる。
何もかもが当たり前になってしまっていて、一番感謝の気持ちを忘れやすい。
仮に感謝の気持ちを感じて、伝えようとしても恥ずかしくて言えない。
自分が親になって初めて有り難みがわかる。
そんな存在。

家族というのは、
「最も難しいコミュニティー」
と言われている。
一番身近なコミュニティーである家族関係をを上手く築ける人は、外でも人と上手く人間関係を築ける。

「家族なんてどうでもいいよ」と言って、家族関係をないがしろにする人は、必ず始めに「友達」に逃げる。(リアル、オンライン含む)
そこで、友達と楽しい時間を過ごすことにより「やっぱり家族より友達が一番だ」と信じるようになる。(第一段階)

だんだんだんだんと、友達と親密になっていくと、やがて友達が家族の様な存在になってくる。
やっぱり家族なんていらない。
友達こそが自分の家族なんだと思うようになる。(第二段階)

やがて家族の様な存在になった「友達」がいることが当たり前になり、「ありがとう」と言う気持ちが薄れたり、感謝の気持ち自体が薄れてきたり、気持ちはあったとしてもこっ恥ずかしくなってありがとうを省略するようになったりする。
やがてお互いの進路の違いで、会う時間が減る。
友達側が新しい友達とコミュニティーを持ったり、彼氏彼女などパートナーが出来たりすると、どうしようもなく孤独を感じる。
あれ?自分が信じていた友達って何だっけ?と思うようになる。(第三段階)

やがて家族をないがしろにして来た自分も家族を持つようになるが、家族との適切な距離感が分からない。
家族だってみんな人間なんだから上手くいかないこともあるだろう。
そういう時に家族から逃げていたから、対応の仕方がよく分からない。
結果的に、自分が作った家族関係もなかなか上手くいかない(最終段階)

これは僕自身が身を持ってよく経験したこと。

友達は大事。
人生を豊かにしてくれる。
ただし、友達は何かから逃げるためや、自分の都合のいい道具じゃない。
共に泣き、共に笑い、共に悩み、共に成長していくもの。
だからこそ、友達にも家族にも、適切な距離感が必要。

大事なのは、親しい存在に対して、感謝の気持ちを忘れずに、礼を尽くせるか?ということ。

「最も根源的なコミュニティである家族」を大事にして、家族(親、パートナー、子ども)のコミュニケーションを大事にすると、友達、同級生、部活仲間、会社の同僚や上司まで幅広く上手く付き合っていけるようになる。

だから僕は、娘である君に礼を持って接したい。

いつもありがとう。
生まれて来てくれてありがとう。
そして、今日も愛してる。


お父さんより


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