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男の子に生まれたかった


なんてこと、一体これまで何度
思ってきたことだろうか。


今よりもっと若い頃、周りの男子たちが下品な話題(下ネタなど)でわいわいと盛り上がっている場面に度々遭遇した。
「ホントさいって〜」みたいな感じで、冷たい視線を送る友人たちの隣で、私はひっそりと、彼らを羨しく思っていた。

性別は違えども、私も彼らと同じ人間で。下品なことを考えることもあれば、そういった状況に身を置くことだってある。

私も彼らに混ざって、自身に起きた下品な出来事を話題にして、笑いをとってみたい。そんなことを毎回考えていた。



大学生の頃なんかは、皆それぞれ奔放な時期が存在するので、男女関係なくある程度品のない話題でも、受け入れられやすい傾向にあった。
そこで繰り広げられる明け透けな会話は、他者から見ればみっともないの何物でもなかったが、それでも当時の私はどこか心が開放されたような感覚で、その時間を楽しんでいた。

しかし大人になると、そうもいかなくなる。
男性にせよ女性にせよ、一般的な大人として最低限のマナーであるとか、品性であるとか、そういったものが求められるようになるからだ。

そういったマナーについて、私もきちんと重んじて捉えているし、公の場で品のない話を大声でひけらかしたいなんて思ってはいない。

ただ仲間内でなら、心の内を曝け出すような会話を、たまにはしてみてもいいじゃないか、とは今でも思っている。

それでも、自身の置かれている立場だとか、形成してきたキャラクターであるとか、色々なものが邪魔をして、昔のように開けっ広げに言いたいことを言える状況では最早なくなってしまった。

そこで邪魔をしている条件の大部分を占めているのが「性別」だと私は感じているのだ。

今でも時折、男性グループから溢れる下品な会話を、ふと耳に挟むことがある。

内容が良いものであれ、悪いものであれ、彼らはその日、自分の身に起こった下品な出来事を「笑い話」として友人に伝え、ケラケラと盛り上がることが、大人になった今でも出来ている。

しかしながら、私たち女性という生き物にはそれが少し難しい。話すことが不可能なわけでは決してないが、それを行うことで背負うリスクが、彼らとはまるで違う。

女性という生き物には、歴史や文化の中でどこか「上品さ」や「淑やかさ」を価値として求められていて、それ故に「下品な発言、行動」というのは、自分たちの品位や価値を著しく下げる可能性を背負っている。

その点、男性は下ネタなどを話していたとして、呆れられることはあるにしても、価値を著しく下げられるということには案外直結しない。

軽薄な人間というレッテルを貼られる可能は勿論あるが、上手く流れをもっていければ「男ってほんとバカね〜」と軽く笑いを生み出すことだってできる。

現代ではセクハラだのパワハラだの、やたらとハラスメントが問題視されているので、昔よりは男性も言動には注意しなければならない世の中になってきているが、とはいえそういった風潮はまだまだ残っているなと、肌で感じる。


それでも、下劣さや悪意を源泉に生み出される「笑い」という文化が、大衆娯楽として根付いているこの国で、下品な笑いはまだ尽きることはないだろう。

女性の芸人なども増えてきているが、それでもやはり男性と同等な言葉選びで笑いを取ろうとすると「女を捨ててる」と捉えられることがまだまだ多い。
そう、女性は下品な話題を素直に発するためには、自身の「女」というセクシュアルを犠牲にしなければ「笑い」として成立しないのだ。

女性としてのセクシュアルを保持したまま、下衆な話題を好感触に受け入れられる人もいるが、それを実現させるためには確立されたキャラクターやアイデンティティ、ワードセンスなど、ものすごく高度な技術があってこそ叶うポジションで。要するにものすっっごくセンスが必要だし、誰でもなれるわけではないということ。


その点、男性は「男」というセクシュアルを犠牲する必要はない。というかそもそもそんな発想すらないだろう。

こんな話をするからといって、私は男女平等などを特別問題視して生きているわけでもないし、やたらに反発しているわけでもない。性別以前に、そもそも人は平等ではないので。

ただ私は単純に、自分が女だからという理由で、自由に好き勝手話せない、シンプルに笑ってもらえない、そんな状況なのが悔しくて堪らないのだ。

とはいえ、私の心は非常に女性的であるので、女性特有の魅力であるとか、可愛げな一面だとかも大切にしたい。しかし、可愛げと生々しさは、どうにも両立が難しい。(かっこよさと生々しさなら、割と両立できるというのに、なぜ…。)


でも結局のところ、私自身が女性として求められている(と勝手に思い込んでいる)品性だとか健気さだとか、そういった妙なプライドでがんじがらめになっていて、「自分を下げた笑い」を無意識のうちに避けてしまっているというのが事実なのだ。
(文章を書きながら自分の考えがまとまってきた。)

性別云々以前に、プライドの問題なのかも。自分を皮肉れるくらいの余裕を持つことが、私には必要なのだな。

私はただ、本当にただ、自分の話すことで人に笑ってもらいたい。それだけなのだ。

その話題の自由度が、男性の方が広いように感じてしまっていて、それが私は羨ましくて、悔しく思っていたのだ。

馬鹿みたいに好き勝手、振る舞う自由や権利は、ずっと私にあるのに。女であることを言い訳にして、私はその自由をこれからも手にすることは出来ないのだろう。

それが私らしさ、というのなら、それを受け入れた上で、自分らしい笑いのカタチを探すしかないのだ。



なーんて感じで、今回もあっちこっちに話が飛躍してしまう、私の取り留めのない文章。

絵を描いたり、映像を作ったり、写真を撮ってみたり、これまで色んなことに中途半端に手を出してきたけれど、それでも、結局戻ってくるのは、この文章というシンプルな世界で。私にはやはり、それしか無いような気がしてしまう。

いつだって、体も心もどっちつかずで情け無い
そんな私の姿を、どうか笑っていてください。

最後に、私の心を代弁してくれたような、大好きな戯曲のセリフを添えて、今日の日記は終わり。


「笑ってください。
あなたが笑っている場所だけが、
ボクの居場所なのだから。

凄く素朴なことがわかった。
笑ってください。

そこにしか、ボクの居場所はないんです。」

ファンキー!-宇宙は見える所までしかない-

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