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創作と自由

先日、珍しく部屋の掃除をしていたら
非常に懐かしいものをみつけました。

私が幼少期に描いた絵本です。

当時の私は絵を描くのがとても好きで
小学生くらいまでの将来の夢は「漫画家」。

絵や字の稚拙さはさておき、まず気になるのがタイトル。
「ショコラとココラの川のほうせき 1」
登場キャラのネーミングセンスに
恥ずかしさで変な汗が出ちゃいますが、
その恥ずかしさを乗り越えて読んでみると
個人的にちょっとした発見というか
色々思い直すことがあったので
あえてここで掲載してみたいと思います。


登場キャラクターの名前は…たぶん当時テレビでやっていた安野モヨコ原作の「シュガシュガルーン」からパクったものなんでしょう。
そしてタイトルに1としてある感じ、
シリーズものにする気満々な感じが恥ずかしさ倍増。

1頁
「ある日、ショコラとココラがたからさがしの
たからをさがしています。
どんなたからがみつかるでしょう?」

キャラの紹介や前置きは一切無く
唐突に始まる“たからさがし”
どっちがショコラでどっちがココラなのか、
だれも分からないまま話しが進みます。

今自分が何かしら作品を書くとすると
説明過多なくらい色々と言葉を加えてしまうので
この突拍子もなさは、やるとしたら結構勇気が必要。

虫眼鏡で探し物する感じとか、石を退けたら虫がいたみたいな表現が
なかなか安直ですけど、子供ながらに芸があります。

にしても、「たからさがしのたからをさがしています。」
は、重複が過ぎるな。当時の私、あまり賢くはなかった様です。

2頁
「その時(どの時??)ココラがきれいな、鳥の羽を見つけました。
つぎにショコラが、キレイな石を見つけました。」

ここでどっちがショコラでどっちがココラなのか
なんとなく絵で判明(たぶん左がココラ、右がショコラ)。
思っていたより、身長差がすごい。

誰に向かって拾った物を見せつけているんだろう。
物語に登場しない第三者の存在を感じてしまいます。

3頁
「「ほかにも見つけよう。」とココラとショコラが言って走っていきました。」

まだまだ宝探しは続くようです。
走っていっちゃったけど、さっきみつけた
たからものは手に持ってません。
捨てたんでしょうか。潔い。

あと走る表現の砂埃的なイラストが絶妙な違和感。

4頁
「その時(だからどの時??)二人が見たのは、光があたってきらきらした川でした。
二人は川のほうせきを見たとたんそれをじーと見ていました。」

……完?

はじまりも唐突なら終わりも唐突です。
そういう意味では一貫性があるのかも(ないか)。
自己完結の最たるものです。
魚のイラストのシルエットがなんともいえない。

とはいえ、川面に反射する陽の光を"宝石"と表現する当時の私、
まあまあ小粋で生意気ですね。


さて、なんでこんなクソ恥ずかしい代物をわざわざ公開したかといえば、
勿論懐かしいなぁ(描いたときの記憶は全然ないけど)という気持ちもあるんですが、
「なんだこの自由さは??」
ということに、昔の自分ながらちょっと感動してしまったからなのです。

今の私は、エッセイ的な文章などは趣味で創作していますが
「作りもののお話」つまり物語を書くことができません。

私は、ありもしない出来事や突拍子もないストーリーが
どうにも考えられないのです。
思いつかない訳ではないんです。ただ、設定を思いついたとしても
その後の展開とか、辻褄合わせが上手くできない。

いざ一作書き終え、読み返してみたとき
「で、だからなんなんだ?」
「これって面白いのか?」
と自分に問いかけてしまい、そのままお蔵入りしたものが数作…。
ストイックな訳ではないのです。ただシンプルに疑問なんです。
こんなものを作品として放出して、一体なんになるのかと。

面白くない、ということが許せなさすぎる。
その点にだけ異常に厳しい人間になってしまった。
自分が大した人間でないことくらいわかっているはずなのに。

そもそも、創作に対して「だからなんなんだ?」
と疑問を投げつけること自体ナンセンスなこと。
私は物事に意味を求めすぎている。

そんなタイミングで見つけてしまった、この過去の作品。
これを読んで「面白いか?」と聞かれれば、
面白いわけがないんです。
もし面白いという感想が出る場合、それは「子供が意味もわからず描いた拙さが愛らしい」とか「幼少期の黒歴史として滑稽に笑える」という意味で
実際の内容についての感想ではありません。

でも当時の私は、世の中を知らないからこそ、比較という概念を持ってないからこそ、堂々とこんなものを描いていたし、描けていました。
何にも縛られていなかった、自由であった証です。
それにきっと、当時の私にとってこの作品は「おもしろい」ものだったのです。

私の創作は、仕事ではありません。完全に趣味。お金になんてなりません。
本来、これくらい勢いを持って書いてしまってもいいこと。
誰にも迷惑をかけないのだから、せっかく思いついたのだし、ちょっとでも良いかもと思って書いたことなら、他者の目なんて気にせずにのびのび作って良いはずなのに。
私は一体、何に囚われてしまっているのか。何をそんなに制約で自分を縛りつけてしまうのか。いつから私は、自由を忘れてしまったのか。
疑問が尽きることはありません。

しかし「自由でいい」と、いざ言葉でわかったところで
そう簡単に実行できるほど、単純な構造ではないのが人間の厄介なところ。

「自由」こそ、私のこれからの一番の課題なんだと、
過去の自分から知らされた様な気がします。

私が「自由」を心のどこかで恐れているのは
自分に自信がないせいなのでしょう。自分が書いたもの、言ったこと、やっていることが、素晴らしいことなのだという根拠を見つけられない。
そもそも自分を信じることに、根拠なんていらないはずなのに。

私は自分の行うことがいいことなのか、面白いのか、価値はあるのか、
全て他人の視線を通して判断しようとしてしまう。そんな悪い癖が染み付いて取り払えなくなってしまっています。

他者というフィルターを概念から消し去って
「自分がどう思うか」を主体に考えられるようになった時
私はまたこんな風に自由に好きなものを描いて、
正直に生きていけるのではないかと、そう思います。
まだまだ時間はかかりそうですが。



ちなみに今回紹介した絵本の最後のページでは
ガッツリ作者紹介の欄まで設けています。
(漫画のソデとかに載ってるやつを真似たんだろうな)
自己主張も忘れないあざとさ、この精神を取り戻したいです。

そしてタイトルに「1」とあった様に、この作品
続編があります。

またそちらも別の機会に紹介します。
(2の方が内容が無茶苦茶で、個人的にはそっちが好き)


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