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シューカツ、コワイ

シューカツ、コワイ。

ここ数年、私の頭の片隅にこびりついて離れないのが、

 シューカツ、コワイ。

という気持ちである。就活にこれから挑むという人で、おんなじ気持ちの人も多いのではないのだろうか(と願いたい)。今回は、私の怖がる気持ちを正直に書いてみました。「ぬるい」「甘い」そんな声もあるとは思いますが、こんな人もいるんだ~へええ~~って感じで読んでくださいい~。(はるきちゃんのブログにインスパイアされて一気に書き上げました笑)

 学部3年のころに進路を考え始めてからのここ数年、ずっと「就活」が怖くてたまらない。自分が働いている姿が想像できなくて、ずっともやもやしている。さらに、最近は特に漠然と不安を感じる。無理もないと思う。今年の3月頃までは、まさかコロナがこんな猛威を振るい私たちの生活を狂わせているだなんて思いもしなかったのだから。世界の景気が急速に悪化する中で、1年半後に社会人として何が何でも自立しなければならない私は、自分は何がしたいのか、自分には何ができるのか、世の中はどんな人が欲しくて、どんな仕事があるのか、姿の見えない魔物といつか対決しなければならない、その時をビクビクしながら待っている。そしてその戦いが怖くてなかなか一歩を踏み出せないでいる。うう、苦しい…という日々だ。

大学院進学という「逃げ」

 4月から、多くの同い年の友人が就職していく中、私は文系では珍しい「大学院進学」という進路を選択した。学部の時に興味を持った「ボディイメージとメディア」という関係性をもっと理解したい、研究結果で社会に貢献したい、と思ったからだった。それだけ聞くとかっこいいかもしれないが、正直、大学院への進学を決めたのは、「なんとなく、まだ就活したくない!!!」という完全なるフィーリングに従った部分も多い。悪く言えば、逃げたのだ。まあ、大学院での学びは本当に大きくて、落ちこぼれ気味ながらも楽しく刺激的な院生生活を送っているので、間違ってはいなかったかなとは思っている。ただ、文系での大学院進学は、就活がさらに大変になるという話もよく聞く。この前の東大の就活のチラシでも見た。先輩にも言われた。更なる恐怖を感じているのも事実である。

インターンしてるけど…

 とはいえ、せっかくあと2年の就活猶予を得たので、学部4年の時に聞きかじっていた情報に従い、とりあえず「インターン」をやってみることにした。なんとなく「短期よりも長期の方が勉強になりそう」という感覚で、バズフィードでライターの長期インターンを始めた。インターン自体は楽しく、今までなかなかの社会不適合ぶりを発揮して生きてきた私にとっては、とても勉強になることばかりである。しかし、このコロナ禍でインターンできているだけでもありがたいことだと感謝しつつ、インターンを通して解決するはずだった漠然とした不安は、むしろ一層増していった、というのが正直な感想である。それは、インターンを始める前、なんとなく感じていた「インターンやってれば大丈夫っしょ」という何とも安直な気持ちが粉砕されたからである。実際にインターンをやってみると、それが正社員への採用に続く道でもなければ、それをやったからといって自分が好きなところに就職できるわけではないという当たり前のことに、ようやく気付いた(遅い)。そんなわけで、「これをやれば大丈夫」という支えを失った私の就活への不安は、さらに増していった。

「自己啓発の時代」

 こういった漠然とした不安を感じる時、大学院のゼミで読んだ牧野智和の「自己啓発の時代」という本の内容が頭に浮かぶ(とっても興味深いのでここら辺でモヤモヤしてる人にはオススメしますう!)。その本によると、現代というのは、ことあるごとに半強制的に「自分探し」や「自分磨き」などを求められ、自己を高める事、自己を変容することが強いられる社会なのだという。就活はそれが特にわかりやすくて、「自己分析」がその顕著な例だ。自分がどんな特性を持った人間なのかを把握し、強みを売りにしたり、弱みを改善していくことが求められる。そんな再帰的なプロセスを永遠に繰り返していると、人は逆に自分が分からなくなったり、そのループに疲れ切ってしまったりする。その現代の社会構造の産物こそ、私だ。

 何をやっても足りない気がする。とりあえず、なにか向上しなければならない気がする。周りはもうあんな所まで行っている(ように見える)のに、なぜ私はここで停滞しているのだろう。そんな思いが、いつまでもぐるぐると頭を回る。

 つまり、就活は精神が疲弊するような構造になっているわけだ。そう考えると、ちょっとだけ気持ちが楽になった。

私のやりたいこと

 ちなみにやりたいことは意外としっかり決まっていて、私の目標は、世の中にある社会問題や、素敵な活動やプロダクトを伝えるメディアの創作や運営に携わりたいと考えている。正直、媒体は何でもいいが、書き書きするのは好きなので、ライターになれたらリモートワークもしやすいし嬉しいなと思っている。でも、今は↑の様な就活の構造にきづいたこともあり、「絶対ライターにならなきゃ死ぬ…!!!」と思い詰める必要もないんじゃあないかと最近思うようになった。こうやって自分のメッセージを誰でも簡単に発信できる時代だしね。たとえ就活がうまくいかなかったとしても、それで私の価値がなくなるわけではないし(価値がないと判断する人とは付き合いたくもないわ)。

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 今までは盲目的にビビりまくっていた「シューカツ」。きっと私は何も踏み出さずに見えない敵におびえているだけなんだと思う(本来なら就活は敵ですらもないはず)。思い返すと、インスタにセルフィ―を載せた時も、「ボディポジティブ」についての発信を始めた時も、院進を決めた時も、最初の一歩が怖くて、なかなか踏み出せなかっただけで、その先にはたくさんの楽しさや、学びが待っていた。そんなことを思い出して、「とりあえず、何かやってみたら変わるんじゃないだろうか?」とちょっと前向きになれた。

きっとうまくいかなくて落ち込むこともあるだろうけど、どうせやるなら自分が納得できるようにやろう、そう思うのでした。


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