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いつだって、待っていてくれる人

6月の終わりに、3ヶ月ぶりに実家に帰った。

実家まで帰る道すがら、なんだかそわそわとして落ち着かなかった。
幾度となく目にした車窓からの眺めも、どこかよそよそしい。

たった3ヶ月ぶり。
それでも、その時間が久しく感じられるのは、それまでの人生のほとんどを実家で過ごしたからだ。


実家の最寄りの駅に降り立つと、爽やかな風が吹いていた。
風は、草木の香りがした。
私は空気のおいしい町で育ったのだな、ということをいまさらながら知る。

私が家に着いたときには、誰もいなかった。
私はお腹が空いていたから、冷蔵庫を開ける。

冷蔵庫の中に、私の好物がたくさん用意されていた。

私は、さんまのつみれ汁を温め、ほかほかのごはんにいかの塩辛をたっぷりのせて食べた。

たしか午後3時を過ぎていたと思う。
その時間まで昼食をとらずにいたのは、外で食べるより家で食べたほうがおいしいからだ。

夕食まであまり時間がなかったが、さんまのつみれ汁も、いかの塩辛ごはんもおかわりして食べた。


家族が帰ってくるまで、私は荷物を解き、資料を整理して、執筆にとりかかる。

その頃、修士論文執筆の終盤にさしかかっていて、いくつか大学で資料を確認したり、図像をスキャンしたりする必要があった。
今回の帰省は、何日間かに亘って大学で作業するための帰省だったのである。

提出締切が1か月後に迫っていたため、数日間家事から解放されて、執筆に没頭したいという気持ちもあった。
そんな身勝手な私を、快く見送ってくれた夫と、快く受け入れてくれた両親には感謝しかない。


これまで28年間(イタリアに暮らしていた1年を除くと27年間)、毎日顔を合わせていた家族に、「久しぶり」と言うのは、少し変な感じがした。

家族に会って、私は長い旅から帰ってきたような心地になっていた。

ちょうどイタリア留学から帰ってきたときのような。

部屋の様子も、家族の様子も、家を出る前とは少しずつ変化していた。

ダイニングのレースのカーテンが新しくなっていた。
膝の手術をしてリハビリ中の父は、少し太ってた。
妹は、自分で車を運転して通勤するようになっていた。

そんな些細な変化に、自分がこの家を離れていた時間を想う。
悲しい、寂しいと言ったら、言い過ぎのような気がする。
実家を離れるというのは、こういうことなのだな、と思った。それだけだ。

だけど、一緒に食卓を囲むうちに、そんな些細な変化も、なんでもなかったことのようになじんでいった。

私は、すぐに、夫の妻から、父と母の娘、そして妹の姉にもどった。


数日間、父と母は、私に料理を振舞いつづけてくれた。

私は、「おいしい、おいしい」と言っておかわりして食べた。

おなかいっぱいでもおかわりした。

実家にいる間しか、父と母の料理は食べられないのだから、食べられるときに食べておこうという気持ちもあった。

だけど、それ以上に、私が「おいしい、おいしい」と言って食べているのを、父や母がうれしそうに見ていることに気づいたから、父と母を喜ばせたかった。

「ももちゃんがいると、食費がかかる」といつものように父は言う。

そんなふうに言いながらも、父は毎日これでもか、というほどおいしいものをつくり続けてくれた。
まだ手術した脚には痛みが残っているのに、リハビリだ、と言いながら台所に立ち続けていた。

「私だって、おいしいものをつくれるようになったんだよ」と思いながらも、私は一度も料理しなかった。

「明日はお父さんが魚を煮つけるから」とか、「今日の夜はお母さんが揚げ物するからね」と、父と母が競うように私に料理を振舞う約束をしてくれたから。

私が「楽しみだな~」と言うと、父も母はうれしそうな顔をした。

私は、ただ食べるだけ。
ふたりの優しさを受け取るだけ。
実家にいる間は、それが私の役割なのだと思うことにした。

食費をかけて、迷惑をかけてごめんねと思う気持ちももちろんあった。
でも、いまこの時間は、ただ父と母の娘でいたいと思った。

ちょっと食べちゃったあとに、慌てて撮った。
ウニとか、刺身とか、煮付とか。
母作唐揚げと春巻き
お昼ごはん。
父のおにぎりは世界一おいしい。

私が夫の暮らす家へと帰る前夜、私はダイニングで論文を書いていた。

私の実家のダイニングとリビングは一続きになっている。
リビングでは、父と母がテレビを見ながら話していた。

母が、「最近、お父さん、ちょっと出かけすぎじゃない。まだ膝が完治したわけじゃないのに」と父に苦言を呈する。

父は、医師から車の運転も許可されていたが、まだリハビリ中で仕事は休んでいた。けれども、私がいた数日間、父はほぼ家にいなかった。

父は、「ももちゃんが勉強しているから、家に居づらいんだ。」と言う。

私は、パソコンを打っていた手を止めた。
いくら娘だって迷惑なこともあるよね、さすがに甘えすぎたな、と思い、父に謝ろうとした。

けれど、私が謝るよりも母が話し出すのが早かった。

「お父さん、ももちゃんのせいにしないの。」と母は父を叱る。

「ももちゃんが、明日帰っちゃうからって。
 本当は寂しいんでしょう。」
と母は言う。

父は、「そうだな~、寂しいのかな~」と笑いだす。
お酒を吞んだ後だったから、父は少し酔っ払っていた。

「寂しいって、言ってもさぁ。
 ももちゃんは、もう帰らなきゃいけない場所があるんだから。
 ぺこりん君のところに、帰さなきゃいけないんだよなぁ。
 ずっと我が家にいるわけにはいかないんだ。」
そう父は呟いた。

私は父と母の会話には入らずに、ただ二人の話を聞いていた。
パソコンのキーボードを打つふりをしながら。

私は、「散歩してくる」と言って、我が家の柴犬とともに、夜の散歩に出かけた。

私は、父の言葉を頭の中で反芻していた。

おいしいものをたくさん私に食べさせようとする父も、
食費がかかると愚痴をこぼす父も、
私がいると家に居づらいという父も、
私を帰さなきゃいけないんだと寂しそうに言う父も、
全部本当の父だ。

きっと、どの気持ちも嘘じゃない。

少し前の私だったら、私がいると食費がかかるとか家に居づらいという父の言葉に落ち込んでいたと思う。

だけど、痛む足で台所に立ち続けて、私を喜ばそうとしてくれる父の姿が目に焼き付いていた。

「ももちゃんを帰さなきゃ」と寂しそうに言う父の声が、私の耳に残っていて、私は夜風に吹かれつつ、ちょっと泣いた。

私には、父や母に恩返しをできていないと思う気持ちがある。

でも、私が顔を見せるだけで、父と母がしあわせそうにしてくれることも、私は知っている。

私が家にいても、二人の役に立っているわけじゃない。

それでも、父や母といると、
「ただ生きているだけで、ただそばにいてくれるだけでいいんだよ」
そんなふうに思ってくれているのを感じる。

父と母は、ずっと私のことを待っていてくれる。

私が実家で暮らしていたときには、いつも両親はおいしいごはんを用意して待っていた。
いまだって、二人は私が次に実家に帰るのを心待ちにしている。

そして、いつだって私がしあわせになるのを待っていてくれた。


私には、帰る家が二つある。
どちらにも、私のことを待っている人がいる。

それは、とても、とても、しあわせなことだと思う。