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雨の日と音楽

大学の最寄りの地下鉄の駅から、地上に出たとき、ふわっと爽やかな風が吹いた。
その日は爽やかとは言い難い天気で、8月の雨の降る日だった。
にもかかわらず、爽やかだと感じたのは、そのとき目に映ったものと、耳にしたもののせいだろう。


地下鉄の駅は、大学の構内にあって、駅を出ると、構内に植えられた木々の緑が目に入る。
その日は、雨に濡れた葉の緑が鮮やかだった。さらさらと流れる風に遊ばれて、葉はきらきらと輝いていた。

地下鉄に乗ったときから、私は音楽を聴いていた。
その日聴いていたのは、Goldmundの“The Malady Of Elegance”というアルバムで、国立新美術館のミュージアムショップで流れていて、その懐かしいような、新しいような旋律に惹かれて買い求めたものだ。
その音楽は、自室で聴いていても、電車で聴いていても、気持ちをしんとさせる。
朝、というよりは昼下がりや夕方に聴きたい曲たちだ。でも、その日は珍しく朝にそのアルバムを聴いていた。

駅を降りたとき、私はとてもきもちよかった。
雨の中を通ってきた風、目の前の木々の葉の煌めき、傘の上に落ちる雨の音、イヤホンから聞こえる音楽、そのすべてが重なった。
研究棟へと歩く途中、私は一人で雨の中に現れたステキな世界を歩いていた。

研究室に着いて、助手さんから「今日は、雨で嫌ね」と話しかけられた。
私は、そうですね、と答えながら、あの気持ちよさを伝えるか少し迷った。
変な子、と思われるかも。
でも、何もなかったことにはしたくないような気がして、
「でも、音楽を聴きながら歩いていたら、雨の音と重なってちょっと楽しかったです」と言ってみた。
助手さんの表情が少し曇ったので、
あ、言わなきゃよかったかも。反応に困るよな、と思った瞬間、助手さんは、少し悲しそうな顔で「最近、音楽聴いてないな」と呟いた。


生後10ヶ月の赤ちゃんの育児に追われて、音楽を聴く余裕がないんだと話していた。



私は、子どもを育てながら仕事をしている彼女のことを、「幸せを手に入れた人」とみなして、尊敬しながらもすこし嫉妬してもいたと思う。
結婚も、出産も、安定したお仕事も今の私には遠い世界の話だ。
それに子どもや旦那さんの話をする彼女はとても幸せそうで、強く逞しくて、私には眩しかった。
でも、彼女はいつだって私に優しい。
前職を辞めたいと打ち明けたときも、大学に戻りたいと相談したときも、優しく寄り添ってくれた。

次の週、 “The Malady Of Elegance”を彼女にプレゼントした。
彼女のもとにもステキな世界が現れてくれますように、と願いを込めて。
きっとこの静かな曲たちなら、赤ちゃんを起こすこともないだろう。



後日、彼女から、そのCDを聴きながらすやすやと眠る赤ちゃんの動画が送られてきた。