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何でもない日だけど、ありがとうと言いたくて


最近、めっきり涼しくなった。

夏の蒸し暑さが苦手な私でも、夏が終わることに一抹の淋しさも感じないといえば嘘になる。

夏の終わりは、すこし悲しい。


でも、秋も好きだ。

頬に当たる風は、つめたくて、ここちよいし。

だんだんと、日差しが細く長く差し込むようになって、燃えるような光から、やわらかな光へと変わる。

緑一色だった景色のなかに、淡い色の花々が点々と咲く。
空気が澄んできて、夜には星が綺麗に見えるようになってくる。


そして、寒くなってくると、あたたかいものが飲みたくなるように、ぬくもりを求めて、人肌が恋しくなって。
そのせいかな、秋は少しセンチメンタルになる。


今日は、秋風にかこつけて、ちょっとセンチメンタルな文章を書こうと思います。(書き出しは、ちょっとカッコつけました。)

あたたかい飲み物を片手に、ジャズでも聴きながら、センチメンタルな文章にお付き合いください。




最近、しみじみと思うのです。

noteを書いていてよかった。

私に、noteという場所があってよかった、と。




私は、もともと口数が多くありません。

言葉にするまでに時間がかかるから、言葉になった瞬間にはもう話題が移っていたり、語るべき相手が目の前にはいなかったり。

言葉が浮かんでも、発する言葉より、口の中にとどまって消えていく言葉の方がずっと多い。


言えばよかったんだ、と後悔したことがどれほどあるでしょう。


あのとき、言えばよかった。

あのとき、自分の思いを口にしておけば、何か変わったかもしれない。


そんなことばかり考えていました。
そして、そんなことばかりを考えていることさえも、ひとには言えなかった。


そのときの私は、自分の思っていることを話す場所がなかった。
私の言葉にはなんの力もなかった。



いまも、私の言葉に特別な力があるわけではありません。

とくに、職場では、私の意見が必要とされることはありません。
たぶん、いまの仕事の任期が終わる3月まで変わらないでしょう。

私は用意された仕事を淡々とこなすだけ。

負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、今の仕事に不満があるわけではないのです。
与えてもらった仕事をする、その対価として給与をもらう。
給与は決して多くないけれど、仕事の内容に見合った金額だと思います。


しかし、そうは言っても、自分の言葉で話をしたいと思うときもあります。

自ら責任のある仕事を辞しておきながら、意見を言いたいなんて勝手だな、と私自身も思います。


けれど、そんなわがままな私の言葉にも、耳を傾けてくれる人たちがいます。

ここ、noteには。


ここに来る前の私は、心の中に眠る言葉を、紡ぎ出したくても、誰かに聞いてほしくても、その術を知りませんでした。


できれば見知らぬだれかに、私の言葉を聞いてほしかった。

私の周りにいる、心配させている人たちや迷惑をかけている人たちではなくて。

慰めてほしいんじゃない。
同情してほしいのでもない。


ただ見つけてほしかった。

言葉をもった、私のことを。



大学の先輩が旅行記をnoteに書いていたことを思い出して、私もnoteを書き始めました。

まっさらなnoteに、ぽつりぽつりと。

はじめは、書いても、あまり反応がなくて。
それでも、書くだけで、少し気持ちが整うような気がしました。

でも、書くのが楽しいと思うようになったのは、私のnoteにコメントしてくれる人が現れてから。


私は、ときどき、過去のnoteを読み返します。
自分の文章も読みますが、主にコメントを読み返しています。
サポートのときにいただくメッセージも何度も読み返しています。

読み返すたび、胸がぎゅーっとなります。

私の言葉を受け止めてくれる人がいること。
私に優しい言葉をかけてくれる人がいること。

そのことに、私がどれほど救われているか、たぶん私はきちんと表現できていません。
たぶん、どんなに言葉を重ねても、言い表せない。


でも、きちんと感謝の気持ちを伝えたいな、と思いました。

そう強く思ったのは、昨夜のこと。

母は、昨日、私のnoteを久しぶりに読んだらしいです。
私のnoteを読むと、母は、泣いたり、笑ったりします。
昨夜は、こんなに正直に書かなくてもいいでしょう!と怒られました(母がぽっちゃりで、ねぼすけさんなことなど)。
でも、みなさんからの優しいコメントを見せたら、母はご機嫌になりました。

そんな母を見ていると、私が普段語るべき言葉をきちんと伝えていないことに気づかされます。

普段言えなかった私の気持ちを母が知って、泣いたり笑ったり怒ったりしているように見えました。



私は、知人に自分のnoteを読まれるのが、それほど恥ずかしくありません。

むしろ、自分が言えずにしまわれていた言葉を、本人のもとに返しているような、そんな感覚です。
本当は、面と向かって言えばいいんです。
けれど、私はそうすることが苦手だから、こんな回りくどい方法を取ってしまいます。


母は、私にnoteという場所があってよかったねと言います。

私は、そうだね、と言いながら、noteがあってよかったなという気持ちもまた心の中にしまっていることに気づきました。


言葉にするのはちょっと難しいのですが、精一杯言葉にしてみます。


私は、noteという場所があって、自分の表現したいことを表現できて、その表現したものを受け取ってくれる人がいることを、とても幸せに思います。



いつも私の言葉を受け止めてくれて、ありがとう。

私のことを、見つけてくれて、ありがとう。


noteを辞めるわけでもないし、今日はなんの節目でもないけれど。
なにかあったからじゃなくて、なんでもないときに御礼をきちんと言いたくて。



私のnoteを読んでくれている、私の友人たちも、ありがとう。
いつもは言えないことをときどきここに書いてるけど、いつも感謝しているよ。
私と友達でいてくれてありがとう。

noteで出会った人も、note以外で出会った人も、
出会ってくれてありがとう。


これからも、この出会いを大切にしていきたいです。

そして、これから先に、どんな出会いがあるのかワクワクしています。


みなさんにも素敵な出会いがありますように。

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