見出し画像

家族への手紙

最近、心がざわざわする。

そのざわざわは、大きな世界での出来事に起因したものなのか、小さな世界の変化によるものなのか、よくわからない。

もしかしたら、そのどちらでもなくて、単に寒暖差が激しくて自律神経が乱れているのかもしれないし、そうした私の周りの環境すべてが、気持ちを落ち着かなくさせているのかもしれない。


いずれにせよ、私のまわりの小さな世界に変化が起きようとしているのは確かだ。


私はもうすぐ実家を出る。

昨年もこの時期に同じような投稿をしていたが、縁あって1年間美術館で働けることになって、予定よりも1年家を出るのが遅くなった。

引っ越し先には、昨年結婚した夫が待っている。

まだこれから働く先が決まってはいないけれど、まずは新しい家での生活に慣れることを優先させたいと思っている。
夫も焦らなくていいよと言ってくれている。

特段、不安に思う要素はなく、もうすぐ始まる夫との二人暮らしはとても楽しみだ。

それなのに、なぜだろう。

どうにも落ち着かないのだ。

それは、先週、部屋の荷物をまとめたときから始まった。

がらんとした部屋にいると、どうしようもなく、寂しくなる。

もうすぐ、ここは私の住む家ではなくなるんだ、と実感して。

ひどく甘えたやつだな、と自分に対して思う。
優しい家族の元から、優しい夫の元へと平行移動するだけだというのに、それでも寂しさを感じるなんて。

最近、私が休みの日、母は職場に行く時間を少し遅らせる。ももちゃんとコーヒーをこうして飲むのもあと少しだね、と言いながら。
そう話す母は、あまり悲しそうではなく、いつもどおりのまんまるな顔でにこにこしている。

でも、にこにこしている母の顔を見ていると、胸の奥がぎゅっとなる。
この母の笑顔を見られるのはあと何回だろう、と思ってしまう。
そんなに思い詰めなくたって、会いたくなったら会いにくればいいのだとわかっているのだけど。


ずっと一緒にいると、好きとか嫌いとか、そういう言葉で表現するのがわざとらしく感じられるほど、家族とは一緒にいるということが自然だった。

嫌なところはたくさんある。
それでも、やっぱり好きなのだと思う。

私は、私の父と母と妹が、私のお父さんとお母さんと妹でよかったと、心から思うのだ。


お父さんとお母さんは、私や妹が小さい頃は、毎週どこかに連れて行ってくれた。
家族で海外旅行に行ったり高級な旅館に泊まったりすることはなかったが、手が届きそうなほどの煌めく星、海に沈む夕日、ホタル、滝、紅葉、そういう美しいものが身近なところにたくさんあることを教えてくれたのは、学校の先生ではなく、お父さんとお母さんだった。

そして、妹は私の一番の遊び相手で、一番の理解者だった。
どこへいくのにも、妹がいてくれたから、私はとても楽しかった。


お父さんとお母さんは、いつだって私や妹のためにふんだんに時間を使ってくれた。
仕事で疲れていたはずなのに、私たちが小さな頃は、平日も夜に懐中電灯をもってみんなで家の周りを散歩したり、シーツの上に私と妹を乗せてブランコ遊びをしてくれたことをいまでも覚えている。

お父さんは、毎朝4時くらいに起きて、おいしい朝ごはんとお弁当をつくってくれている。
お父さんは、あまり手先が器用じゃないから(残念なことに、私もそうだ)、料理をするのも、時間がかかる。でも、睡眠時間を削っても、おいしいものを食べさせようとしてくれる。残業が続いた日も、朝ごはんやお弁当が用意されていないことはなかった。
私は、世界のあちこちを歩いたけれど、お父さんのごはんよりもおいしいものを、まだ食べたことがない。
世界一愛情が詰まったごはんだから、それに勝るものなんて世界中どこを探したってないのだと思う。

お父さんは、「ももちゃんが家からいなくなったら、食費が浮く」なんて言う。
だけど、私が外出しているときは、ごはんをつくる張り合いがないとこぼしているのだとお母さんが言ってた。素直じゃないところも、私はお父さんに似てしまったと思う。
けれど、不器用でも、言葉が悪くても、お父さんは誰よりも愛情深い人だと私は知ってる。
私もお父さんみたいに、愛情深い人になりたい。

お母さんは、いつでも私の味方だった。
私が部屋で一人で泣いているときも、お母さんはいつもそんな私を見つけて抱きしめてくれた。

お母さんは、いつも笑顔で、怒ることなんてめったにない。

「いつも笑顔」というのはよく聞くフレーズだけど、それは簡単なことじゃない。
お父さんが病気になったり、妹が学校に行けなかったり、私が仕事を辞めてしまったりして塞ぎこんでいるときも、お母さんはいつだって我が家をおひさまみたいに照らしてくれた。
悩んでいる人に寄り添って、一緒にこれからどうしたらいいか考えてくれた。
お母さんが考える案は、ちょっととんちんかんで、役に立つことはあまりなかったけれど、お母さんがいつもそばで笑っていてくれるから、みんな救われたんだ。

お母さんといるとほっとして、私は大人になっても毎日ハグしてもらっていた。
お母さんに毎日会えないのはすごく寂しい。

だけど、お母さんと私の夫はすごく似ている。
ちょっととぼけていて、いつもにこにこしていて、いつでも私の味方でいてくれる。お母さんのように優しい人のそばにいる安心感をこれからも感じられるだろう。

だからといって、お母さんの代わりになる人なんていないけれど。


妹とは、たくさんけんかもしたし、泣かせてしまうこともあったけれど、最近はあまりけんかしなくなったかな。

妹は、私のことが好きではない。(これは断定できる。「たぶん」とか「かもしれない」ではない。)

私の嫌なところをたくさん見てきたし、私が冷たい人だということを本当に理解しているのは妹だけだ。

だけど、妹は私といるのは「楽だ」という。気を遣わなくていいから。
そのくらいでいい。私のことを好きじゃなくてもいい。

それでも、私は妹のことが大好きだ。

小さな頃は、どこに行くのにも私についてきていたけれど、今では車を運転して私をお出かけに連れていってくれる。
いつもは素っ気ないのに、私の元気がないときは、なぜかすぐに察して励ましてくれる。
でも、妹が何かをしてくれるから好きだというわけではなくて、何もしてくれなくても好きだと思う。そんなことを言っても妹はきっと気持ち悪がるだろうけど。

私は、お父さんとお母さんの子供に生まれて、妹のお姉ちゃんになれて、本当に幸せ者だ。

どれほど言葉を並べても足りないくらい、私はみんなに感謝している。

だけど、まだ私は、みんなにずっと甘えてばかりで、なんの恩返しもできていない。


お父さんとお母さんは、たくさんの愛情をかけて育ててくれたのに、親不孝な娘で本当に申し訳ない。
私はきちんと仕事をつづけられなくて、立派な娘にはなれなかったし、どこかに旅行に連れて行ってあげたり、二人のほしいものを贈ってあげることもできてない。

けれど、私がごめんねと言ったら、二人はそんなことはどうだっていいって、言ってくれるのはわかってる。
いつもお父さんとお母さんは、「ももちゃんが元気だったらそれでいいんだよ」って言ってくれるから。
娘たちがしあわせでいることが、お父さんとお母さんのしあわせなんだよって教えてくれたから。

娘にとってのしあわせも、お父さん・お母さんがしあわせでいてくれることだ。

私がいなくなって、少し寂しくなるかもしれないけれど、妹は二人のそばにいるし、これからも、二人にはずっとずっとしあわせでいてほしいと願っている。
これから恩返しも少しずつしていくから、どうか二人には長生きしてほしい。

そして、私は、これから夫と一緒に、お父さんとお母さんのように、温かくて優しい家庭を築いていけたらいいな。



ときどき私のnoteを読む母が、このnoteをいつ読むのかわからない。
読んでほしいような、読まれるのは恥ずかしいような。

そして、母以外の方にとっては、ずいぶんと御涙頂戴の文章になってしまいましたね。ごめんなさい。


だけど、こうして感謝の気持ちを綴っていたら、少しずつざわついた気持ちが和らいできた。

私は、家族に対して、何もできていないことに焦っていたのかもしれない。

こうして文章を書いたからといって、何になるわけでもないけれど。
言葉にすることで確認できた感謝の気持ちを胸に、一緒にいられる日々を大切に過ごそうと思う。

この記事が参加している募集

#新生活をたのしく

47,910件