いつかの日記
日記を書こうと決意して、日記帳を用意したことは何度もあるけれど、ずぼらな私はいつも途中で書くのをやめてしまう。
でも、覚えていたいなと思うことは、日々あって、それを忘れないように、と普段は心の中にしまっている。
わざわざ人に話すまでもないような、ささやかなこと。
思い出したときに、ほんわり心が温かくなるようなこと。
そんないつかの記憶を取り出して、日記を書いてみる。
パンナコッタ
ある日、スーパーで「栗原さんちのパンナコッタ」を買った。
以前は、カラメルソースをかけるちょっと特別感のあるおやつだったけれど、最近はふつうのプリンのようなパッケージになってしまってちょっと残念だ。
それはともかく、このおやつがおいしいことに変わりないので、たまに安くなっているときに買う。ちなみに、パンナコッタはイタリア語で「加熱したクリーム」というなんとも安直なネーミングのお菓子だ。
家に帰ってきてから、このパンナコッタを冷蔵庫にしまい、夕食の用意をしていたところ、夫・ぺこりんが家に帰ってきた。
ぺこりんは、麦茶を飲もうと冷蔵庫を開け、さっそくパンナコッタを発見して、「パンナコッタがあるよ!」と私に報告してくれた。(知ってる)
「パンナコッタがあるなんて、ナンテコッタ!」とぺこりんははしゃいでいた。
美術館のカフェ
ある休日、私たちは美術館へと出かけた。
その美術館の近くには、おいしいお蕎麦屋さんがある。
私は、外食のなかでも、お寿司、お蕎麦、焼き鳥が特に好きなので、おいしいお蕎麦屋さんがあるとなれば、入らずにはいられない。
ぺこりんは、天ざる、私はおろしそばを注文する。
香りがしっかりと立ちながらも、のどごしのよいつるっとしたお蕎麦で、するすると食べられたが、食べ終わるとおなかがぽこんと膨れるくらい満腹になった。
お蕎麦屋さんをあとにしてから美術館へと向かい、美術展を見終わって帰ろうとしたとき、美術館のカフェの前でぺこりんの足が止まる。
私は、まだお昼のそばがお腹に残っていたから、そのまま帰りたかったが、ぺこりんはカフェでスイーツを食べたいらしい。
「じゃんけんで、ぼくが勝ったら寄って行こう、ももが勝ったらそのまま帰ろう」というぺこりんの提案により、私たちはじゃんけんをする。
結果、私が勝った。
ぺこりんは、シュンとしていた。
「もういっかい、じゃんけんする?」と私が提案し、再びじゃんけんをした。
今度は、ぺこりんが勝った。
わぁい、と言いながら、ぺこりんはカフェに入って行く。
それでいいのか?と思いつつ、ぺこりんが満足そうなのでこれでいいのだと思うことにした。
クラシック・コンサート
近所にコンサートホールがある。そこで私の好きな曲を演奏するクラシックコンサートが開催されるということでチケットをとった。
コンサート当日、ぺこりんは近所のスーパーで安売りをしていたので、スーパーに出かけて行った。ぺこりんは、とうもろこしをたくさん買って帰ってきた。
とうもろこしを茹でて、二人でお昼ご飯代わりに食べる。とうもろこしは、みずみずしくて、甘くて、二人とも夢中になって食べた。私は、幼い頃、祖父母の畑でとれたとうもろこしにかぶりついていた夏休みを思い出していた。
とうもろこしに夢中になってノスタルジーに浸っていたが、ふと時計を見ると、コンサートの開始時刻まであとわずかだった。
私たちは大急ぎで、コンサートホールへと向かう。
コンサート会場に着くと、もう一曲目がはじまってしまったため、第一楽章がおわったところでご案内します、と係の人から説明を受ける。遅刻した人は、私たちのほかにも結構いた。
扉の前で、目を閉じながら曲を聴いているおじいさんがいて、係の人が案内するよりも先に、第一楽章が終わったことに気づき、勢いよく扉を開け、ひとり中に入っていく。きっと何度もこの曲を聴いて耳で覚えているのだろう。でも、そんなおじいさんも、私たちと同じように遅刻した人なのだと思うと、おかしいような心強いような気がした。
コンサートでは、私が好きでよく聞いている曲も演奏されたが、あれ、こんなフレーズあったっけ?と思う箇所が、どの楽章にもあって不思議だった。
私は、普段、音楽をBGMとして流しているから、純粋に音楽を聴くだけの時間をとることはほとんどない。
忙しい時間を過ごしていると、つい効率ばかりを求めてしまうけれど、きっと効率なんて都合のいい概念でしかなくて、効率よくできていると思い込んでいても、それは何かを取り零していることに気づいていないだけかもしれないな、なんて思った。
翠雨
休みの日、ぺこりんとふたりで紫陽花の咲くお寺に行った。
紫陽花を見たあとは、お寺の近くのカフェへ。
窓から見える緑がテーブルにも反射されて、とてもきれいだった。
お茶を飲んでいる間、だんだんと窓の外の緑の空気が濃密になっていくようだ、と詩的な感覚に浸っていると、窓の外でさぁーっと雨が降り出した。
小雨のうちに車に戻ろうと、急いで店を出ると、はじめは小雨だった雨脚がどんどん激しくなって、駐車場に着くころには、バケツをひっくりかえしたような雨になっていた。車を運転するのも怖いくらいの雨だったから、車の中でしばらく待つ。
10分もすると、雨は止んでいた。もう少し店のなかで待っていたらよかったね、と反省しながらも、不思議と悲壮感はなく、びしょぬれになったお互いを見て「川からあがったカッパみたい」と笑いながら帰った。
「行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」と『カルテット』のすずめちゃんが言っていたけれど、ずぶ濡れになった日だってあとから思い返すといい思い出になるような気さえする。
酔っぱらいぺこりん
私は、基本的に酔っぱらいが好きではない。
でも、酔っ払ったぺこりんは嫌いではない。
だいぶ世の中が飲み会に対してゆるくなってきたので、ぺこりんの会社では飲み会がたまにある。
ぺこりんは、いつもぽやぽやとしているが、酔っ払うとその度合いが強まって、ぽやっぽや~になる。
飲み会から帰ってきたぽやっぽや~のぺこりんは、「ぺこりんのもの!」と言って私をむぎゅーっとハグしてきた(ちょっとお酒くさい)。
私は、突然の所有代名詞(Pecorin’s)の登場にとまどいつつ、悪い気はしない。
ぺこりんは、途中ではっとしたように、「ももは、人なのに”もの”は失礼だよね」と言って、うーんと、えーっと、と悩み始める。
ぱっと閃いたぺこりんは、「ぺこりんのもも!」と言って、またハグしてきた。
心底どっちでもいいわ、と思った。