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窓があればいい

長田弘さんの詩に、「空の見える窓があればいい」という一節がある。はじめてその言葉にふれたとき、心がふるえた。

私は、窓から外の景色を眺めるのが好きだ。家の窓からも、電車の窓からも、カフェに入っても、窓の外をぼんやりと眺める。

職場に窓のない人はどれくらいいるだろう。

私がかつて勤めていた市役所には、窓がなかった。正確に言えば、あるにはあるのだが、私の視野には入らない。その建物は、以前は市役所ではなく、商業ビルだった。商品や設備を紫外線から守るために、窓のないところで働く人も少なくないのかもしれない。

窓のないところに長時間いると、今が昼なのか夜なのか、時計を見ないとわからない。外からやってきたお客様に天気を教えてもらうこともしばしば。お手洗いにいくときだけ、窓の側を通れたから、窓の外を見るためにゆっくりと歩いた。休日の昼間に残業をしにいくと、昼間なのに建物の中は真っ暗で、非常灯だけが光っていた。

息苦しかった。

今の職場の給料は、市役所にいた頃の半分。でも、大きな窓から外の美しい庭が見える。窓があればそれだけでいいといえば、強がりになるだろう。でも、今私は息をしている。心乱れるときも、不安になるときもあるけれど。

別に窓なんかなくたって、という人もいるだろう。

でも、窓があれば、朝の清々しい空気、外でちらつく雪や、夕焼け色に染まった街が、ふと視界に入る。疲れたときには、自身にとって癒しになるし、お客様や同僚たちとその光景を共有できれば親交も深まるかもしれない。

他の人にとってどうでもいいことでも、自分にとってどうでもいいことだとは限らない。我慢が必要なときだってきっとあるし、我慢している人たちはすごいと思う。けれど、我慢をしすぎたら、自分自身が壊れてしまうかもしれない。壊れてしまう前に、どうか自分の気持ちをそっと声に出してほしい。

私は、窓のあるところで働きたい。