等身大の自分

自分を大きく見せようとして、疲れてしまう自分がいる。
人と関わったとき、疲れている自分がいることに気づく。

そんな時に、なんて自分は面倒くさいんだ!と思う。
相手に対して自分を良く見せたくて、その人にとっていい人でありたくて、自分を偽ったりする。
それは悪いことではないし、そりゃイメージがいい人でありたい。
けれどそんな自分にうんざりするときもある。

ありのままの自分って難しいけれど、等身大の自分は少し感覚としてわかるような気がしている。
人が作った私と、実際の私の狭間でよく揺れ動く。
でも逆にその隙間みたいなところで揺れ動ける私は、どちらの私にもなれるもかもしれない。

そして「どちらでもない私」がいるということ。
それは「ちょうどいい自分」を知っているということ。

それが私の在り方だということ。
それを自分で理解すること、受け容れるということ。

等身大の自分って、いつもの姿の私なのかもしれない。




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