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腰痛のお姫様

私は24歳の時に腰椎椎間板ヘルニアで手術している。
腰椎椎間板ヘルニアとは背骨の骨と骨の間にある椎間板の一部が飛び出して神経に当たり、痛みや痺れなどの症状が出る病気だ。
原因は、加齢や生活習慣、遺伝もあるという。
うちの父も椎間板ヘルニアで2回手術をしている。
遺伝もあると思うが、仕事が看護師なので中腰に次ぐ中腰の毎日。
当時勤めていた病院は、電動ベッドでは無くベッドの高さを調整できなかった。
なので看護師はほぼ一日中、中腰と言っても過言ではなかった。
最初は、「あー疲れた。腰痛いな」くらいだった。
次第に、ぎっくり腰を頻回に起こすようになり、足が痺れるようになった。
なぜ、ここまで悪化したかというと、看護師は皆、腰が痛いが口癖になっているからである。
当時、先輩看護師はみんな「腰痛い」と言っていた。
腰をポンポン叩き「あー!腰が」なんて毎日誰かが言っていた。
「おはよう!!あー腰痛い」「休憩入ります!腰痛い」と挨拶のようだった。
だから、私も職業病だな〜、などと呑気にしていた。
しかし、足の痺れと少し歩くと立ち止まらないと足が出ない状況にまでなり、
「これはヤバいんじゃ」とようやく整形外科を受診した。
MRIを撮ると、腰椎椎間板ヘルニアとの診断。
ひとまず、鎮痛剤、湿布を処方してもらい「仕事はしばらく休んだほうがいいね。
診断書を書いてあげるから」と言われ休職の手続きをした。
当時は病院の寮に住んでいたが、安静を余儀なくされ、
一人では何もできなかったため実家に帰ることにした。
安静にしても足の痺れがよくなることはなかった。
それどころか、横になっていても寝返りを打とうとすると腰が痛いのだ。
次第にトイレに行くのもやっとの状況に。
とにかく腰をかがめたり、中腰のような姿勢が辛いので何も出来ないのだ。
パンツの上げ下げもやっとだし、髪を洗おうと腰をかがめるのも辛い。
こんな大人になって何も出来ないなんて…とトイレの中で無力感に苛まれ涙が溢れた。
再度受診すると、次なる治療は神経ブロック注射とのこと。
この症状が良くなるなら何でもお願いします!!との気持ちで注射を決意。
神経ブロック注射とは、局所麻酔やステロイドなどを神経近くに直接注射して痛みや炎症を抑える治療法とのこと。
お尻を丸出しにされ、尾てい骨のあたりに注射を打たれるのだが、この注射の痛いこと!! 足の神経がビリビリと痛み、「先生!!これ大丈夫なんですか?」と不安に駆られる痛み。「あー神様!これが最後の治療にしてください」など手に汗握り耐えるしかないのだ。
これで良くなる人も多いが、私には効果が無く手術の方針となった。
手術は飛び出た椎間板の切除をするという。
手術の恐怖もあったが、手術してよくなるなら!!だって自分で自分のことが何も出来ないんだから。もう藁にも縋る思いで決意した。
手術は3時間くらいだったかで終わった。
腰に10㎝程の傷があったが、痛みはほとんどなかった。
しばらくの安静期間を経た後にリハビリの先生と一緒に歩いた。
今まで足の痺れで歩けなかったことが嘘のように症状がなくなっていた。
靴も靴下も自分で履け、自分の足でトイレにいき、自分のことが自分で出来ることの喜び!!を感じた。
病院で年配の患者さんが「何にも出来ない」と嘆いていたのを思い出した。
あぁ、自分のことが自分でできて、自由に歩いて自分の行きたい場所に行けると言うことは幸せな事なんだな。
先生は、「手術してもしばらくはコルセットをして無理のないようにね。」と言った。
業者の人が来て、私のウエストや胴の長さをチェックし本格的なコルセットを作ってくれた。
このコルセットは、中世のヨーロッパのお姫様がドレスを美しく着るためのコルセットのような代物なのである。
紐を絞めればコルセットもキツくなり腰のサポート力も上がる仕様である。
「もうあと3センチ締めてちょうだい。今日は大切な殿方とダンスを踊るのだから」などと侍女に言うお姫様の声が脳裏を過りながら、コルセットをキツく絞めリハビリに通った。
手術の後はしばらく、このお姫様コルセットを装着して職場にも復帰した。

手術から数年経った今は、足が痺れることはない。
しかし、元々の気質や腰の弱さは変わらない。
腰が痛いときは、ストレッチやマッサージをしている。
お姫様コルセットは今でも辛いときは使っている。
手術から15年経ち白かったコルセットも茶番でいるが、あの日手術の後に歩けるようになった時の事は今も私の心に色褪せず鮮明に残っている。


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