だんまりの果て
離れている友人と、来月ちょこっとでも会おうか!と盛り上がり、念のため夫に日程の最終確認をしていた。2日前に。
そして今日。在宅の夫に何げなく、あの日程で大丈夫だよね~?と確認すると、なんと、キャンプに行く予定があるから難しいという。
え それならそうと早く教えてよ。
すぐに友人に、他の日程はまだ空いているかの確認LINEをしたけれど、もう埋まってた…。お子さんはもう成人して、バリバリ仕事をこなすシングルのカッコいい友人は、楽しく余暇を過ごすのにも忙しいのだ。
しょぼん(´・ω・`)
「もう予定入っちゃったよ。会えないよ。せっかく会えると思ってたのにさ。」
「えー。ごめんね。。。」
謝られてももうどうにもならん。
何だかなぁ の後に かちーん ときて ムッときて だんまりがきた。
コロナで1年以上も会えなかった友と久々に会えるチャンスだったのに。
「夫はいいよな。自分の予定を優先できるんだからさ。」心の声。
こういう思考は前進しないし、後退どころか加速して転げ落ちてしまうけれど、久々に嫌な自分が出た。もっと早く言ってくれれば、他の日に会えたのに。なんで 私ばっかり。なんで夫ばっかり家のことや子どものこと 気にせず予定ぽんぽんと入れられるんだよ!!!
同じ空間にいると もっと悶々と嫌になっていく。そして頭痛がしてきた。
1時間頑張ったけど、頭痛は治らない。かといって、もういいや と話しかけたくない。
ということで、買い物に出た。でも、気が晴れん。
そしてお昼になった。
帰りました。夫のお昼ご飯作りに。
放っておけないというか、そうしちゃうんですよ。お昼食べてくるから、とか、遅くなるから、とか言い残していないし。私が帰らなくても、どうしたのかなぁ~ 腹減ったなぁ、お菓子でも食べとくか、くらいで全然気にしない夫なんですけどね。そういう屈託のない感じが、勝手にだんまりしている私には追い打ちでムッとくるわけです。
じゃぁなんで わざわざご飯作りに戻るんでしょ。いい加減、放っておける妻になりたいもんです。
この理由は、きっと 私の母にあると思っています。これは母のことを書くときに詳しくnoteに残したいと思います。
結局、お昼ご飯を一緒に食べたくないので、私は台所でバナナパウンドケーキを焼いていました。熟れて真っ黒になったバナナがあったので。でも、夫が好きなクランベリーは入れてあげましたよ。←ほらまた。放っておけんのか!!!
そして午後からは、また買い物に出ました。買い忘れたものがあったので。(これは本当に)でも、誰かが淹れてくれたコーヒーを飲んで一人きりになりたかったので、帰らずに近所のカフェに行きました。
今にも雨が降りそうな重い曇り空で、ホットにすればいいものを。水出しコーヒーがどうしても美味しそうで。ちょっと濃いめでガツンときたけど。氷で薄くなるのを待ちながら、ゆっくり飲みました。
本も持って行ったけど、頭の隅にあるのは、昨日始めたnoteのこと。
これから何を書こうか。タイトル別のマガジンが増えていくと楽しいだろうな。読みやすいだろうな。誰かに読んでもらうだけでも大変だけど。先ずは書いている私が、書きやすいような場所にしていかないと。続けたいから。
手帳。2022年のまだ買ってないなぁ。noteに書きたいことを、思いついたらすぐに書けるような手帳がいいかな。
こうして気持ちは穏やかに戻り、頭痛も引きました。帰りに、ポテトと唐揚げをお土産に買いました。子どもたちが帰宅していて、騒がしさに救われました。
よかった。ちょっと離れて。一呼吸置けて。
臨機応変がうまくない私には、一呼吸も二呼吸も置く必要がある。最近やっと身についた。
だんまりが数日続くこともあった昔の私。えらく面倒な女だったな。少しは成長したと言えるか。言えるのか 知らんけど。
長々と書いてしまいました。愚痴っぽい内容は止めようと思っていたけれど、飾らない自分を思いつくままに書く場所にしたいので。このまま消さずに今日は終わりにします。
明日はまだ笑っていないかもしれないけど。おはよー は言いたいかな。
家族の大切さと儚さ 親への感謝と許せない気持ち 相反する現実にモヤモヤ…このどうしようもない気持ちを書くことで整理して 同じような経験をされてきた あるいはされている人たちと分かちあえたら。いただいたサポートは書くための活動費に使わせていただきます。よろしくお願いいたします。