妊活日和#9
2019年4月。妊活開始から8か月目。
3月末に意を決して、職場の上司や一部同僚に不妊治療を開始したことを報告した。それに伴い、病院の診察日に合わせて急なシフト交換・欠勤があるかもしれないことを伝えた。
「分かりました。でも、調整が必要な時はできれば2~3日前には教えてほしい。」と言われた。
そのときの上司・同僚の様子は、言葉では理解を示してくれたようだが、本音は迷惑だと思ったのではないか、と推測している。
私もできるだけ迷惑をかけないよう、休みを予測したりして早めに報告できるよう努力しようと肝に銘じた。
そして、4月上旬。忘れもしない出来事が起こる。
生理痛で頭痛やお腹の痛みと闘いながら6時間ほど立ち仕事をしたあと、昼食時間になったのでその日勤務していた同僚たちと事務所に集まりご飯を食べ始めた。その時だった。
「気付いている人もいるかもしれませんが、実は2人目を妊娠しました。」
「18週目に入りました。」
「年子で欲しいと思っていたので、すぐできてよかったです。」
不意打ちだった。
昨年9月に育休から復帰した同僚からのサプライズだった。
みんなで、祝福した。私も精一杯の笑顔を作って、拍手した。
ちなみに、この同僚は私の不妊治療のことはまだ知らなかった。
全くもって悪意のない報告だったので、私も心からおめでとうと思えたはずなのに、なぜかその日のお弁当は味がしなかった。
昼食後、黙々と2時間の作業を終え帰宅。
車の中で泣いた。家には仕事休みの旦那がいるからだ。
新しい命の誕生は喜ばしいことなのに、なぜ泣いているんだろう。。。
育休明けの9月に妊活を開始してすぐに授かった同僚と、8月の結婚式を終えて同じく9月に妊活を開始したのに授からない自分。
自分の結婚披露宴をするためだったり、子どもや自分が体調が悪いためだったりと、育休明けから月に平均5日は休んでも上司に理解を得ている同僚と、7か月間休みのフォローをしてきたのに、不妊治療で急な欠勤が出るかもしれないと言っただけで上司に不愉快な顔をされた自分。
比較してしまった。
悔しかった。
でも、これが現実なんだとも思った。
新しい命や弱くて小さき者が守られる。
それは多くの世界できっと共通の認識であり、それが当たり前になっているからこそ平和な暮らしが維持できているのだと思う。私だって幼いころは、いろんなものから大人が守ってくれたからこそ、ここまでこれたはずだ。
でも、大人になって分かったことは、それらを守る人たちは、必ずしも親だけとは限らないということだった。
社会全体で守っていく。そういう考えがあってこそ維持されるものだった。
社会人になって12年。私は色んな新しい命を守ってきたつもりだった。
社会人1年目のとき。産休・育休補充の臨時職員として入職すると、残り2名しかいない正職員が私の入職後1か月、2か月後と立て続けに妊娠が発覚し、3名分の業務を立て続けに覚えなければいけなくなったこと。
社会人5年目のとき。妊娠4週目から悪阻が始まった同僚が仕事に来れなくなる中、別の同僚が急に退職し、死に物狂いで1か月半働き詰めたこと。
社会人10年目のとき。職場の同僚が1名退職し、その3か月後に2名産休に入り、合計3名の欠員がいるにもかかわらず人員が補充されず、結果的に1年間は2時間超勤の月6日休みで業務を回したこと。
ストレスで持病を悪化させながらも命を守ってきたつもりだったのに、なぜ私は報われないのだろう、と悲観的になってしまった。
でもこれらのことは、あくまでも自分の主観的な見方で見るからそう思えただけで、実際はこれら以上のことを難なくこなしてきた人も世の中にはたくさんいるのかもしれない。
器の小さい人間だな。こんな私だから、子どもが来てくれないのかな。
そう思うと余計に虚しくなり、涙が止まらなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?