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野に、咲く。第五話

野に、咲く。第五話
五月には、母の日がある。 母の日・・・ 母に感謝する日だから僕の母について書いてみよう。
母は昭和二十二年、長崎県の南部の方で五人姉妹の三女として生まれる。
幼少期から、早朝から草取りや家事、学校が終われば一目散へ家に帰り家事、牛の世話、農作業と両親からは、しこたま働かされた。
牛の飼料を作る際に誤って右手の小指を切り第一関節がない。 他の姉や妹たちも同様に働かされたみたいで伯母たちには散々苦労話を聞かされた。地獄のような日々に遊ぶ暇もなかったのだろうと僕は子供ながらに思った記憶がある。 十五歳で中学を卒業すると集団就職で奈良へ 縫製の仕事につき給料をもらう喜びを知り、働いた。 以前、母が引っ越しをする際に片付けを手伝いに行った時に
十代から二十代の頃の母の写真が出てきた。人生で一番楽しい時代だったと思うほどの笑顔だった。
その後、職を転々とし九州へとまた戻ってきて父と出会う。長女が生まれ、オイルショックの後、逃るように、父の故郷へ。
そして母にとってはまた地獄の日々が始まる。故郷に帰ってからの父は働かず母に小遣いをもらってパチンコして毎日酒を飲む。
母はここでも職を転々としながらでも仕事は続けた。 お弁当屋、電電公社、お茶屋などで働く母を覗きに行き、良く怒られた。
そんな母はいつも僕にはドライで話しかければ目は吊り上がり鬼の形相で僕を睨む。第一話でも紹介しましたが僕は生まれてからは
父母姉とは住んでおらず近くの寺で育てられてた。時折、罪悪感があるのか迎えにきては二日もしないうちに寺に預けに来てはまた迎えに来る。
これが母と言えるのだろうか?  三、四歳になった僕はよく父母姉がすむ家にアポ無しで行ったのだが、たいがいは門前払いなのだ。
小窓を開け「寺に行きなさい」と一言。 だが機嫌がいい時は玄関まで入れてくれ、ステップの狭い範囲が僕の自由にできるスペースになる。
ちょっとでも部屋に入ろうものなら怒鳴り声とものが飛んでくる。寝る時も玄関のステップで布団無しで寝るのだが、イビキや歯軋りをしたら
頭を蹴飛ばされ、鼻血が出たまま寝落ちし早朝になぜか父母姉が起きる前に僕は家を出るのであった。

そんな母に一度カキ氷を作ってもらったことがある。  つづく


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