回想録:ドラクエ4の黒い画面の不気味さ
ノンジャンル人生です。
古い話を辿っていくうちに思い出したことがあります。幼少期、近所の幼馴染がファミコンを持って自宅に遊びに来ました。刺さっていたカセットは「ドラゴンクエストⅣ」。当時RPGというものを知らず、彼が遊んでいた姿を後ろから見ていました。
その時感じたのが、ドラクエというゲームの不気味さです。今でこそカラフルでキュートなグラフィックで、老若男女楽しめるゲームとして売り出しているドラクエですが、FC時代にテレビから映し出された映像は、たとえデフォルメされているとしても、子供心に不安な感情を抱かせました。
幼馴染が遊んでいたのはライアンの章で洞窟を通るあたりだったでしょうか。洞窟の薄暗さ、怪しく落ち着きどころのない曲調のBGM、まるで今まで自分が知らない世界に紛れ込んだようでした。歩いていると突如画面が切り替わり、モンスターが映し出され、ピコピコした効果音と共に激しい戦闘が始まりました。
今でこそグラフィックが用意されていますが、FC当時の戦闘シーンでは背景は用意されておらず、何もない黒い画面にモンスター達とウィンドウが配置されていました。先の見えない暗闇の中に浮かぶモンスターの姿は、デフォルメされた鳥山タッチではあるものの、粗いドットで輪郭がはっきりせず、どことなく不安を駆り立てられました。
ピンチになると赤く変わって命の危機を警告するウィンドウ、緊迫感のあるBGMと襲ってくるモンスター、そして吸い込まれそうなくらい黒い背景によって、何も知らない少年は"死"というものの恐怖を覚えました。
大人になってしまえばそんなことなど些細な話ですが、子供の感受性というのは鋭く、理屈に満ちた大人達では見逃してしまう部分に気づきます。ドラクエ4の戦闘画面に見た"死の体験"は、自分の生死観に影響を与えているでしょうし、ゲームを通じた重要な学びであったと思います。
世間でファミコンのゲームはおもちゃの延長で子供向きのものと捉えられていましたが、分かりやすいゲームテキストやグラフィックのバックグラウンドには、他の分野から影響を受けた当時の思想や哲学が(意図したか否かはともかく)組み込まれているように思えます。
今の子供達もゲームの中に死の恐怖を知ることはあるのでしょうか?大人にになった今、もう一度それを体験することはかないません。あの日に見た光景は、未だ記憶の隅に残り続けています。
それでは。
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