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最近のこと

たまにインターネットの人と会うと「ブログとかnoteの更新まだですか」と言ってくれて、うれしい。最近は何事もあきらめに似た怠惰が覆いつくしてしまって、自分の考えを文章にすることすら億劫になってしまった。私の父親はとても静かな人で、趣味はなく、休みの日も朝に起きて、新聞を読んで、夕方に散歩をして酒を少し飲んで眠るだけで幸せになる人だ。どこにも行かず、たまにスーパーに買い物に行ったりするだけ。同じ道を散歩して、木々や花々を観察して満足していた。家では中国の歴史小説と植物図鑑と世界地図を読み、土曜日には必ず爪を切り、夜のNHKニュースは必ず録画している。定点観測をすれば、その行動パターンはすぐに把握されるだろうから、暗殺するにはもってこいかもしれない。

最近、自分は父親に似てきているのだと思う。休みの日も何もしない。静かに雲を見つめて、自分で料理を作って、軽くお酒を飲んで寝るだけの生活。たまに近所を散歩したり、サブスクで映画(最近はエリック・ロメールの映画、ちょっとエッチでおもしろい(最低の感想))を見たりしている。動きが少ない。父親の生活には厳格なパターンがあり、小さい頃の私はそれを窮屈で唾棄すべきものと捉えていたが、しかし今ではそのパターンにある種の自然さを感じている。自分の生活もまた、緩やかで穏やかで偏屈な、そういうパターンの形成とその確立という自然現象に収斂されていくのだろうか。

しかし、この静かな生活はどうしようもない私の内面によって破壊されてしまう。生まれてから一度も現状を肯定できたことがない。私と私に接するすべてを私は許容することができない。ひどくみじめで、陰鬱で、かなしい。この休日にみんな(私以外の全員)は輝かしいことをしているのだ。自己を研鑽し、他人と交流し、かけがえのない時間そのものを楽しんでいる。私は孤独で、穏やかなふりをしている愚か者にすぎない。私の父親もこの種の悲しさを感じ、それを巧みに隠蔽しているだけなのだろうか。

具体的にいえばお金がない。お金はどこにもない。とくに最近はコロナウイルスのせいで、残業代は一切支給しないという発表が会社からあったので、支出における「文化的活動費」の部分が一切消滅し、虚空を見つめる時間だけが増えたのだった。

インターネットをしていると、みんな(私以外の全員)IT企業で働いている。それか公務員。正確には、生活には困っていない雰囲気を出している人はみんなIT企業で働いている。では私もIT企業に入るしかないのだろうか。私も欲を言えば、もう少し都心に近い場所に住んで、月に一度はジャズ喫茶に行って、せめて美術館と映画にお金を使う時には躊躇しない生活をしたい。基本情報技術者→応用情報技術者→データベーススペシャリストになればガッキーと契約結婚できることを知っているので、ネットで2進法についてのページを読んだら、なんだかよくわからなかった。あと最近、(あ、これ検索しよう)って思ってスマホのロックを解除して検索欄に入力するときには、すでに何を検索すればいいのか忘れていることがマジで頻繁におきるんだけど、これもう何もかも終わり?

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