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今書けるものは、今書こう。書けなくなってしまう前に。

好きで執筆しているエッセイも、書くのが面倒だなあ、と思ってしまう時がある。


たとえば、体調が悪い日。


これは仕方がない。最近の自分の状態を話すと、気圧の低下の影響で頭痛や眠気に襲われることが多く、書きたいことはあるのになあ、と思いながらゴロゴロと横になる日々が続いていた。そのように体調が悪化している時に文章を書いても(書けないことはないのだけど)執筆自体に嫌悪感を覚えてしまう可能性があるので、あえて書かないようにし、アイディアの熟成に励んだ。チョコを食べながら。


不調による、執筆の断念。無理をしてもしょうがない。これはまあ、やむを得ない断筆かもしれないと思う。


たとえば、他にやりたいことがある時。これもまた、執筆に意識が向かわない原因となりえる。


前述の気圧の低下による体調の悪化を、私は五苓散という漢方の力を借りることで乗り切り、雨やくもりの日でも普通の日常を送ることができる場合も少なからずあった。


そのような時にこそ、たまりにたまっている感情の放出を行うべきだ、いけ、書けい、とウズウズしている脳内私1号(わりとやる気がある人)は進言するのだけど、ある日のこと、脳内私2号(怠惰で、単純な愉快さを求める人)がポリポリと頭を掻きながら「ちょっと待って。あのドラマ、観てなかったよね? あのアニメも観てないし、読みたかった本もあるよ。そっちを、先にしない?」と提案してきたため、総司令官の私(決定権のある偉い人)は「そっちの方が楽しいかもしれない!」と判断して開いていたスマホの執筆アプリを閉じ、テレビのリモコンに手を伸ばした。コーヒーとお菓子を準備して。


どうせいつだって、執筆はできるのだし。ドラマやアニメは配信が終了したら観られなくなるのだから、そちらを優先した方がいいよね。きっとそう。


そう思いながら、書きたかったテーマを一度脳内の引き出しへとしまい、最近ハマっているドラマに集中する。エッセイの執筆は、また今度にしよう。いつだって、文章は思いつくのだから。私の意識はドラマの世界へと潜りこんでいき、登場人物たちの数奇な人生を追体験しはじめる。エッセイは、明日書けばいいよね。だっていつだって、文章は書くことができるのだから……


……ん? いつだって、書ける? そうなんだろうか、本当に。


そうしてドラマを観ている最中、ふと、私はそう考え、リモコンで思わず映像を止めた。浮かんだ疑問は、ザラメを投入した後の綿あめのようにモクモクと大きくなっていき、ドラマに対する興味は白く覆い隠されてしまった。リモコンを手に持ちながら、思考する。


今、私が抱いているテーマは。執筆に対する意欲は。エッセイを書くのが楽しいと感じている、この新鮮な感情は。


いつまでも、存在するのだろうか。残り続けるのだろうか。私はずっと、文章を書き続けることができるのだろうか。


途端にドラマの内容が頭に入らなくなり、脳のキャパシティは執筆のことで少しずつ埋められていく。画面の中では主人公の男性が犯罪組織とのバトルに熱を上げていたけれど、私はなんだか冷めてしまい、リモコンでテレビの電源を消して、クッションを枕に横になった。そうして天井を眺めながら、静かに考える。


1ヶ月ほど前からnoteに投稿をはじめて、それからというもの、エッセイを楽しんで書くことができている。自分の心情を、自分の文体で表現できる。それはとても豊かな体験で、集中して自己の世界に没入する瞬間は、なによりも素敵な時間だ。いつまでも、書いていきたいと思う。


でも、その思いは永続的なんだろうか。それは、確実とは言い切れないことである。


記したいテーマがあって、執筆に必要なツールがあって、そのために割ける時間もあるとして。


書きたい気持ちも同じくらいあるなんて、どうして言えるのだろう。文章を紡ぎだせる能力が枯渇しないなんて、言えないはずだ、おそらく。執筆に対する興味を失ってしまったのなら、まだいい。他に熱中できる対象が見つかり、書くことに意義を見いだせなくなったのなら、それはそれで幸せなことではあるのだろう。


しかし仮に、加齢や環境の変化によって、浮かんでいたはずの表現が浮かばなくなってしまったら? 文章を書きたいのに、手が止まって動かなくなってしまったら? それは、表現したい者にとっては悪夢のような状況に思えてしまう。特に、執筆という行為に特別感を覚え、大好きだと心の底から感じている、私のような人にとっては。


関係するのは、意欲や能力だけじゃない。体調を崩したら、どうなるのだろう。もし、執筆が難しいほどの病に体が蝕まれてしまったら? 動機があっても、体が動かない。精神の高ぶりに、肉体が追いつかない。それはとても、悲しいことなのではないだろうか。それだけではない。想像したくはないことだけど、もし、命自体が潰えてしまったら。私は私の思いだけを残したまま、あの世へと旅立つことになる。あの世の存在の可否はさておき、肉体がなければ、執筆は当然叶わない。書きたいことを書けないうちに、私という人間は消滅してしまうのだ。そう思うと、寂しくなってしまった。同時に、書きたいことは今のうちに書かないと、という意志が強くなるのを感じた。


今日は文章を書くのが面倒だなあ。明日か、来週にでも、書けばいいよね。来月でも、いいかな。


その未来が、あるとは限らない。その時に書けるなんて、誰ひとり言い切れない。
今書けるものは、今書こう。後悔しないように。自分というものを、しっかりと残すために。


横たわっていた私はスマホを手に取り、執筆アプリを起動する。さあ、書こう。書けなくなってしまう前に。

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