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暇を持て余している大学生

 今日からここに、日記ほど一日に起こったことを詳細に書くつもりはないが、その日に考えたことや思い出したことなどを書いておこうと思う。

このような行動に出たのには、特に理由はなく、ただ森見登美彦氏の恋文の技術を読んで影響されてしまったためである。この本を読んで、主人公が大学院生活をひどくつまらなくしていることにひどく共感し(私は大学一年生だが)私も文通をして寂しさやつまんなさを紛らわしてみたらどうか思ったが、なんと守田一郎とは違い私には文通を返してくれそうな友達すらいないことに気がついた。実際問題、先月恩師とも言える小学校の頃の担任の先生に手紙を出したが一向に返信をくださらない。完全なる私のソロプレーである。これは寂しいことである。

私がこのような話口調になっているのも察しの通り、森見登美彦氏の本の影響であることをご了承願いたい。このような経過を得てたどりついたのは誰に送るわけでもなく、ただ一人で書いてみようというこの行為である。

頭の中ではナイスアイデアでもこうも実際に書いてみると自分のやっていることはアタオカのする行動ではないのかと疑いたくなるが、せっかくこの私がやる気を出したのだからとりあえずやってみようと思う。

 森見登美彦の本も姉からの勧めであるが、私は確かに姉に影響されやすい体質である。もうこれは私が悪いのではなく、幼い頃の習慣が体にこびりついて離れないのである。というのも、小さい頃はとにかく姉の姿を追いかけて生きてきたというはっきりとした自己の記憶と他者の記憶がある。

幼少期の私にとって姉とはナルニアのアスランのようなハリーポッターで言うダンブルドアのような絶対的な知識と権力を持った人物であった。(このことは私と三番目の妹の共通認識である。)だからこそ姉の言うことは絶対正しいものであると信じていたし、姉から貰える知識は私の同級生の前では最先端をいっていると思い込んでいたので、「こんなこと知ってる?」とよく友達に教えていた。

しかし、わたしが中学校に上がった頃に姉って実は一般人じゃんと思うようになった。しかも姉が今まで私に伝えてきたことの大体が姉の妄想の世界の話で、それを威張って友達に話していた自分もやばいやつになってしまっていたことに気づいた時にはもう手遅れだった。人間に進化した猿はお尻に星マークがあったとか、ペガサスでできた手帳が我が家に代々伝わっているとか、通学中に傘と共に空に飛びそうになって友達のママに足を掴んで助けてもらったとかこのような類の話を笑わずに聞いてくれた、私の友達に感謝とお礼を言いたい。

これらの話からわかるように私は小さい頃から姉信者であったため、その癖が抜けないのである。大体が姉の真似と言われ、妹のように自分のロールモデルが存在しないためにたまに個性がないのではないかと思うこともあったが、今日になって私は姉と妹と多文化共生しているのであると言う結論に至った。ちょっと今文字にしてみると何を言っているのかわからないが、さっきわかっていたことだからいいということにしておきたい。


このようなことをダラダラと考えて1日が終わってしまいそうだが、こんな私も今日はきちんと働いた。
今日はめちゃめちゃ混んでいたけれど、特にパニックを起こすことなく順調に仕事に励んでいた。しかし、謎に色んな人からがんばれとエールを送られ、まあこのバイトも悪くないなと思うようになった。このあとは恋文の技術の続きを読んで、大学の課題をして寝ようと思う。なぜなら明日は久々に高校の部活にお邪魔して体を動かさなくてはいけないという、毎日暇な私にしては珍しい予定が入っているからである。


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