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夫の急死、それは地獄へのほんの序章に過ぎなかった。想像を絶する『不倫の真実』との闘いが始まった。Vol.1

 夫が数年前に脳溢血で急死しました。
 そして、夫に関する驚くような出来事が次々と明らかになりました。
 その事について、これから少しずつ投稿していこうと思います。

 これからお話しする事は全て、私の身に実際に起きた事です。
 私が自分に都合の良いように解釈していることや、記憶違いや勘違いもあるかも知れませんが、全て私の中での真実です。

 同じような経験をして苦しんでいる方に読んでいただいて、少しでも与えられる物や、何かの慰めになればと思っています。
 それ以外の方にも、「愛」や「結婚」、あるいは「不倫」というものが、どういうものなのかを考える機会にしていただけたら幸いです。



 ちなみに、全体のお話を書いた書籍をAmazonで販売しております。
 全体を先に知りたいと思ってくださった方は、ぜひご覧ください。



第1章 始まり 1.アヒルの鳴き声

 2019年6月のある朝、突然にそれは始まった。

 私は朝6時の携帯電話の目覚ましの音で目が覚めた。
 隣で8歳の息子がまだすやすやと眠っている。

「もう起きる時間だよ。下に降りよう。」

 そう息子に声をかけたが、一向に起きる気配は無い。

 私は強い尿意を感じ、階下のトイレに向かうべく、トントンと階段を駆け下り始めた。
 すると、階下から妙な音が聞こえてきた。

「グワーッ! グワーッ!」

——  えっ⁉︎

 アヒルの鳴き声のようなその音は、とんでもない大音量だった。
 ただならぬ気配を感じた私は、階段を駆け下り、夫が寝ている和室に入った。

 私は仰天した。

 夫が布団の上で仰向けに倒れていた。
 なぜか全裸で、ハンバーグのドミグラスソースのような茶色いものが顔一面に張り付いていた。

 アヒルの鳴き声のような音は、夫が発しているいびきのようなものだった。

——  これは一体なんなのだろう……

 心臓がドキドキしてきた。

——  とにかく救急車を呼ばなければ。
 震える声で携帯電話から119番に電話をした。すぐに救急車が来てくれることになった。
 そのあとは意外と冷静だった。

——  救急車が来るということは、子供を置いて家を出なければならない。誰かに家に来てもらわなければ。

 姉に電話をして来てもらう事になった。母にも電話をした。二人とも仰天していた。

 それから、救急車に自分も救急車に乗るのだろうと考え、それに備えて、まずはトイレに行き、パジャマからジーパンとTシャツに着替え、薄手のカーディガンも羽織った。

 その時、119番から携帯電話に電話がかかって来た。

「救急車が向かっていますが、それまでの間にやってもらいたい事があります! ご主人の顔を横向きにして、心臓の辺りを強く繰り返し押してもらえますか⁉︎ 心臓マッサージです!」

「えっ! 体を横にして心臓マッサージをするんですか⁉︎」
「いえ、顔だけを横にしてください!」

 電話の相手は慌てた様子だった。

——  そんな事までしなければならないほど、切迫した状況なのか……

 さらに心臓がドキドキし始めた。

 そして、夫の顔を横に向けようとしたが、びくともしない。

「顔が全然横に向きません! どうしたらいいですか⁉︎」

 私は泣きながら言った。

「そのままで良いから、心臓マッサージを続けてください!」

 自分が正しいやり方をしているのかどうか確信が持てなかったが、とにかく夢中で心臓の辺りを押し続けた。

 その時、救急車のサイレンの音が聞こえた。
 家が分かりにくいのではないかと思い、家の前に出て救急車に向かって手を振った。
 救急隊員数名が家に駆け込み、すばやく夫を毛布で包み、担架に乗せ、救急車に運び込んだ。

「奥さんもご主人の保険証を持って車に乗ってください。」

 そう言われて、家を出ようとしたら、姉が到着した。

——  そうだった……

 姉が来ないうちは、息子を残して救急車に乗り込むことは出来ないのだということを、すっかり忘れていた。

 その時、息子が階段を降りてきた。

——  良かった!

 父親の変わり果てた姿を息子に見せなくて済んだ。1分でも起きてくるのが早ければ目にしていただろう。
 救急車に乗り込むと、救急隊員が受け入れ先の病院を探して電話をかけていた。そして、40分位で受け入れ先の大学病院に到着すると聞かされた。

 その頃には気分が少し落ち着いた。

——  夫はまだ四44歳なのだ。医療はどんどん進歩しているのだし、まだ息をしているうちに救急車に乗せられたのだから助かるに違いない。

——  『奇跡的に助かった』などとテレビでよく言っているではないか。まさかこのまま亡くなる筈はないだろう。

——  夫はこのまましばらく入院することになるだろうから、私は当分の間、仕事を休んでずっと夫の面倒を見て、思い切り大事にしてやろう。
 救急車に乗ってからは、そんな事を考えていた。それから、母と姉に大学病院に向かっていることをメールで伝えた。

 車の中では、救急隊員達が夫に酸素ボンベを着けてずっと何かの処置をしていた。なんと大変な仕事なのだろうと思って見つめていた。終始、一所懸命で、私に優しい言葉をかけてくれる彼らが神様のように思えた。

 助手席にいる隊員の声が聞こえた。

「救急車が通ります! 道を開けて下さい!」

 朝のラッシュが始まりかけている時間帯で、救急車がスムーズに通行できない時もあった。

——  一分一秒を争う事態かも知れないのに! 夫が助からなかったら、すぐにどかなかった車の運転手を一生恨んでやる!

 そんなふうに思いながら、祈るような気持ちだった。
 救急車が病院に到着すると、夫はすぐに集中治療室に運ばれていった。

 しばらく集中治療室の外で待っていると、携帯電話に着信が入った。

——  あっ! そうだった!

 毎朝、息子は小学校に登校する際、友人と待ち合わせをしていた。
息子は下校したら私の実家であり、私の職場である飲食店に帰るために、自宅から少し離れた学区外の小学校に通っていた。
 そして、夫が毎朝、通勤がてら、その待ち合わせ場所まで車で送っていた。
 ところが、その朝は夫と息子がまだ姿を見せないので、その友人の母親が私に電話をして来たのだ。    

「まだ来ないのですが、遅れるので先に行ってもいいですか?」

 彼女は単なる息子の友人の母親ではなかった。
私と彼女とは、息子同士が幼稚園の同級生の時からの付き合いがあった。
 しかも、その幼稚園は彼女の実家であるお寺が経営をしており、彼女は副園長でもあった。
 まさに彼女は、私の最も親しい友人のうちの一人と言っても良い存在だった。
 彼女からの電話で思わず涙が溢れ、夫が救急車で運ばれたことを告げた。 

「そんな! でも、きっと大丈夫ですよ! ずっと祈ってます!」

 彼女は泣きながら言った。

 それから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。よく覚えていない。
ぼーっとしていると、医師が待つ個室に通された。

 その医師はまず、神妙な面持ちで言った。

「お子さんはいらっしゃいますか? おいくつですか?」

「息子が一人、8歳です」

「そう、ですか……」

 その医師は、心の底から残念そうな顔をした。

——  えっ! まさか……

 心臓が高鳴った。

——  深刻な後遺症が残るのだろうか…… まさか命までは取られまい。

 そして、夫の頭部のレントゲン写真を見せられた。

「脳内の血管が切れて出血していて、その血液が脳幹を圧迫しています。これだけ脳内に血液が溜まっていると手術は出来ません。今は心臓が動いていて、自発的に呼吸もしていますが、しだいにそれも無くなるでしょう。あとは人工呼吸器をつけて、いつまでもつか……」

 訳がわからない状態で、ふらふらとその個室を出た。

——  まさか…… これは現実なのか……

 再び集中治療室の外で待っていると、母と夫の両親の三人が到着した。
ちなみに、私の父は10年以上前に他界している。
 義父が慌てて運転を誤るといけないので、3人でタクシーで来たそうだ。 

 私は医師に言われたことを皆に告げた。

 母も義母も絶句していたが、義父は受け入れられないようだった。
「今は手術が出来ないというだけで、脳の血が引けば手術できるんだろ?」

 そう言った義父に、『そんな訳はない』とは、とても言えなかった。

「奥さん、ご主人にお会いになりますか?」

 そう看護師に言われたので、私一人で集中治療室に入った。
 夫はたくさんの管に繋がれて、ベッドの上で横になっていた。
 私は体が震え、嗚咽した。もう、いつ呼吸が止まってもおかしくない状況なのだろうと思った。

 しばらくすると、夫の弟夫婦が到着した。
それから、全員が個室に呼ばれ、医師から詳しい状況説明があった。

 夫はまもなく脳死状態か植物状態になるということだった。
原因を探ろうと色々な検査をしたが、結局、原因となる物は見つからなかったそうだ。
 おそらく、たまたま血圧が高い状態にあって、肉体的、あるいは精神的に強いストレスがかかり、たまたま脳の血管が破裂してしまったとしか言いようがない、ということだった。
 ようやくその場にいた全員が、夫がもう助からないということを理解したようだった。

「仕方がない。寿命だったんだろう……」

 義父が弱々しい声で言った。だが、義父は自分の息子の死をすぐには受け入れられずにいるに違いなかった。

 その後、夫は救急病棟に移されることになった。
 これからも色々な検査が行われるということだった。

 その晩は私が一人で病院に泊まることになり、あとの皆は家に帰った。
 私は意外と落ち着いていた。というより、何も考えられなかった。

 とりあえず、病院の売店に行き、洗面用具や食べ物を買った。
夫の病室に戻り、買った物を食べようとしたが、ほとんど喉を通らなかった。
 やはり平気なようでも、体は正直だった。
 おにぎりを一口かじったが、なかなかゴックンと飲み込めなかった。
 仕方なく、ゼリー状の栄養食を買ってきて、なんとか口に含んだ。

 夫が病院に着いた時に電話をくれたママ友にラインメールをした。
夫がどうなったのか、さぞかし心配しているのではないかと思ったのだ。
 彼女に夫が脳死状態か植物状態になることを伝えた。
 すると、面会に行っても良いのか、自分に何か出来ることはないのか、他のママ友やパパ友達に知らせても良いのか、という返事がすぐに返ってきた。
 だが、私はママ友やパパ友達に知らせる事を少しためらった。

 実はその前日、夫と息子は、息子の幼稚園時代からの友人家族達と、ある自然公園に出掛け、丸一日一緒に過ごしていた。
 その公園で遊んだ後は、皆で近くにあるかき氷屋さんでかき氷を食べたり、商店街を見て回ったそうだ。
 ちなみに、私は実家の飲食店での勤務の為、日曜日のその集まりには参加出来なかった。

 前日に、丸一日一緒に過ごしていた彼等に夫の事を告げたら、とてつもないショックを受けるに違いなかった。
 それに、その瞬間にも彼等の間で、前日の様子を撮った画像や、思い出を語るラインメールが飛び交っていた。
 だが、いつまでも黙っている訳にはいかないので、彼女からママ友やパパ友達に告げてもらうことにした。

 夕方になるとママ友やパパ友達が面会に来た。
 もう夫が助からない為なのか、誰がいつ面会に来ても、病院のスタッフは夫に会わせてくれた。
 皆、夫の変わり果てた姿を見て言葉を失っていた。

「大丈夫! きっと奇跡が起きるから!」と口々に言ってくれた。
でも、私はもう諦めていた。

 その夜は、夫の隣に簡易ベッドを用意してもらって横になった。
だが、やはり眠れなかった。
 夜中じゅう、夫に装着された人工呼吸器の警告音が鳴り、看護師が様子を見に出入りした。

 私は精力的に活動をしていた夫の、変わり果てた姿を眺めた。
 たくさんの管に繋がれ、口は半開き、目も少し開いて白目を剥いていた。
最期に皆にそんな姿を晒して、なんと哀れなのだろうと思った。

 夫の頬を撫で、もう嗅げなくなるであろう、脂臭い夫の頭を何度も嗅いだ。

——  そもそも、夫と寝室を別にしていたのが間違いだったのだろうか……

 我が家を建てる時、寝室は和室にして、畳に布団を敷いて寝たらどうかと、夫は言っていた。夫にとって、ベッドは下に落ちる可能性があるから、布団の方が落ち着いて寝られるそうだ。だが、布団の上げ下げや、将来、足腰が悪くなったり、介護をしたりする事を考えて、やはりベッドにすることにしたのである。

 最初の数年は息子と三人でクィーンサイズのベッドに寝ていた。
だが、夫は狭そうで、寝心地が悪そうにしている様子だった。
 そして、夫がある日、風邪を引き、私達に移さないようにと一階の和室で寝た事をきっかけに、その後、夫だけずっとそこで寝ることになってしまったのだ。

——  それがいけなかったのだろうか。

 それから、前日の夜の事を思い出した。
 夫と息子が帰ってくると、二人共その日一日を満喫したらしく、とても楽しそうな様子だった。
 特に夫はご機嫌で、自然公園で息子と二人用の自転車に乗った話や、帰りに寄ったかき氷屋さんのかき氷が美味しかった事や、近くの商店街が面白かった事などを話してくれた。

「私も行きたかったな」

「もうすぐその商店街で大きなお祭りがあるそうだから、その時は三人で行こうよ」

 そんな話をした。

 その後、息子が寝てしまうと、私は録画していた連続ドラマを見始めた。

「俺、疲れたからもう寝るわ」

「そう。おやすみ」

 そして、夫は寝室に向かった。私はすでにドラマに没頭していて、よく顔も見なかった。
 それが最後だった。

 結婚当初、私は夫をいつも賞賛して、頼りにして、夫の言うようにしていた。
 だが、そのうちに子供が生まれ、時が経つうちに、子供にばかりかまっていたり、夫に相談せずに色々な事を自分で決めたり、自分一人の時間を大事にするようになっていた。
 でも、私が世界中で最も信頼し、心の拠り所にしているのは夫であり、何があっても夫さえいれば大丈夫だと信じていた。

 息子はいつか私の元を去る事は分かっていた。
だが、夫は間違いなくずっと私と一緒にいて、一緒に歳をとってくれるものだとばかり思って、それを疑う事はなかった。
 万が一にでも、夫が私の元から去る、あるいは死ぬという事があったら、私は死ぬしかないと本気で思っていた。

——  神様は私から一番大事な物を奪ったんだ。私は何かバチが当たるような事をしたのだろうか。

 そう思いながら、ひたすらベッドで横になった。


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主な登場人物

(年齢等は2019年6月時点)

・N子(主人公であり、著者) 
 47歳の主婦。結婚15年目。
 実家が営む日本料理店でパートタイマーとして働く。
 背が高く、ツンとすましているように見られがちだが、おしゃべりでおっちょこちょい。
 20年近くパニック障害を患っているが、理解ある夫と可愛い息子に囲まれ、念願の一軒家にも住み、悪くない人生を送っていると思っている。

・K男
 N子の夫。N子より三歳年下の44歳。
 父親が経営する塗装業の会社に勤務。離婚歴があり、前妻との間に娘がいる。
 背が低く、ぽっちゃり型。細いタレ目でいつもメガネをかけている。
 街づくりに積極的に参加し、器用で知恵や行動力もあり、人に頼られると張り切る性格。 

・A子
 N子のママ友。 五年前に夫を心不全で亡くす。
 中肉中背。美人ではないが、女子力が高く、色気があるタイプ。
 夫を亡くして他の保育園に移った後も、N子を含むママ友達と交流が続く。
 2年前に50キロほど離れた自分の地元に引っ越す。

・S子 
 N子のママ友であるとともに、N子の息子が通った幼稚園の副園長。
 小柄で細身だが、丸顔で、笑うと両頬に出るえくぼが可愛い。
 N子とは、小学校でも息子同士が同じクラスで、関係が深く、仲が良い。

・S子の夫
 婿養子。寺の副住職。背が高く体重もあり、体格が良い。 
 K男に家のリフォームを頼むなど、N子やK男と家族ぐるみで仲が良い。



登場人物相関図

(年齢等は2019年6月時点)

相関図(note)


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