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夫の急死、それは地獄へのほんの序章に過ぎなかった。想像を絶する『不倫の真実』との闘いが始まった。Vol.3

 夫が数年前に脳溢血で急死しました。
 そして、夫に関する驚くような出来事が次々と明らかになりました。
 その事について、これから少しずつ投稿していこうと思います。

 これからお話しする事は全て、私の身に実際に起きた事です。
 私が自分に都合の良いように解釈していることや、記憶違いや勘違いもあるかも知れませんが、全て私の中での真実です。

 同じような経験をして苦しんでいる方に読んでいただいて、少しでも与えられる物や、何かの慰めになればと思っています。
 それ以外の方にも、「愛」や「結婚」、あるいは「不倫」というものが、どういうものなのかを考える機会にしていただけたら幸いです。



 ちなみに、全体のお話を書いた書籍をAmazonで販売しております。
 全体を先に知りたいと思ってくださった方は、ぜひご覧ください。



第1章 始まり 3.葬儀

 その翌日、つまり救急搬送されてから5日後に、夫は私が待つ自宅に帰ってきた。

 夫の顔はとても穏やかだった。
顔色が少し黄色味がかっていたが、人工呼吸器を付けていた時の哀れな顔と比べれば、ずっと良い顔をしていた。
 病院のスタッフがなるべく生前の夫に近づくよう、時間をかけて顔をマッサージしてくれたそうだ。

 通夜と葬式の日取りも決まり、慌ただしく準備が進められていった。
その間にも自宅に次々と訪問客が現れ、夫の顔を見ては泣いて帰って行った。
 だが、彼等が泣いている姿を見ても、私は涙一つ出なかった。
 人が亡くなっても、家族は忙しくて悲しんでいる暇もないと聞いていたが、こういう事を言うのだろうと思った。

 夫の家は分家で、まだどこのお寺の檀家でもなかった。
 だが、夫が急に亡くなったことで急にお寺を決めなければいけなくなり、夫の両親は、息子が通っていた幼稚園を経営しているお寺にお願いした。

 そこは、夫が救急車で運ばれた時に、『待ち合わせの場所に来ない』と電話をくれたママ友の実家のお寺だ。
 そのママ友の一家と家族ぐるみで仲良くしていたこともあるが、義父の会社がその縁で、そのママ友の家をリフォームさせてもらった事が大きな理由のはずだった。

 その日のうちに、そのお寺の僧侶である、そのママ友の夫が葬儀の打ち合わせに来た。
 そして、そのママ友と3人の子供達も一緒に来た。
 その夫婦には、息子と同級生の男の子の他に、上と下に女の子が1人ずついた。

「お世話になったご主人にお会いしたくて……  それから、子供達も一緒に行きたいというので、夫について来てしまいました」

 彼女はそう言い、子供達と一緒に夫の顔を見て涙を流した。

 通夜の日になった。
その日の昼間、納棺式が行われた。

 納棺式とは、故人を棺に納める為の儀式である。
 家に来た納棺師達は、いかにもそれに相応しい、物腰が柔らかく控えめな男女2名だった。
 親族全員で立ち会い、1時間程かけてその納棺式は行われた。

 まず、白くて大きな布1枚、夫の体にかけ、直接見えない状態で、夫が着ていた服が全て脱がされ、体全体が清拭され、そして白装束が着せられた。
 夫の体が死後硬直をしているにもかかわらず、白い布の下で、丁寧に、かつ手際良く行われるその様は感心するほどだった。
 夫の顔の黄ばみも、メイクで自然な顔色に修正された。
 そして、最後に親族からも清拭するように促された。

 まず、私が夫の顔を拭くために近づいて前屈みになった。
そして、夫の頬に自分の左手を添えて、濡れたガーゼタオルで夫の顔をそっと拭き始めた。
 メイクで黄ばみがとれた夫の顔は、まるで息を吹き返したかのように生き生きとして見えた。
 私は手が震え、涙が溢れ、思わず夫に頬ずりをして大声で泣いた。

 夫が亡くなってから初めて大声で泣いた。
 そして、その場にいる皆もそれを見て泣いた。

 その日の夕方、通夜が始まる時間が近づくと、私は緊張し始めた。

 参列者は皆、若くして急に夫を亡くした私に注目するだろうと思った。
それから、喪主の挨拶もしなければいけなかった。
 パニック障害を患っている私にとって、人々に注目されるのは最も苦手な状況であった。
 調子が良い時は何でも出来るのだが、一旦具合が悪くなり始めると、ちょっとした事にも反応して体調が悪くなってしまうのだった。
 だからといって喪主をしない訳にはいかなかった。
 不安な気持ちを抱えたまま葬儀場に出向いた。

 葬儀場の入り口に立って参列者を迎えたが、皆がさぞかし心配してくれているだろうと思い、なるべく明るく話しかけた。

 お経が始まると、焼香をしに来てくれた人達を見つめた。
夫は交友関係が広かったせいか、会場に入りきらない程の人々が参列に来てくれた。

 葬儀が進むにつれ、私は少しずつ階段を下りるように、具合がどんどん悪くなっていった。

 お経が終わると、僧侶が神妙な面持ちで言った。

「私にとっても、故人は親しい友人の一人であり、このような形でお経を読ませていただくのは本当に辛い気持ちです……」

 その時、私に限界が来た。パニック発作が頂点に達したのだ。
 私は母に目配せをした。
 すると母は驚いた表情をし、もう少し我慢しなさいと言うように何度も首を振った。
 だが、私も『もう駄目だ』というように何度も首を横に振った。
 そして、とうとう私は母に抱きかかえられるようにして、大勢の参列者の脇をすり抜けるようにして会場を出た。

——  ついにやってしまった、恐れていた事を……  皆がどんなに驚いている事だろう。

 私は葬儀場の控え室に連れて行ってもらうと、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、情けないやらで涙が溢れた。
 喪主の挨拶は、私があらかじめ紙に書いて用意しておいた文章を義弟に代読してもらった。
 そして、会場へは戻らずに母とタクシーで自宅に帰った。

 結局、翌日の葬式にも出ることが出来なかったし、火葬場にも行くことも出来なかった。
 葬式の日は自宅で一日中横になって泣いていた。

 私と夫の出会いは、私が地元の青年会議所に入ったことがきっかけだった。

 実家が日本料理店を営んでいることから、ある時、毎年新年会などをしてくれるその青年会議所に誰かが入会しておいた方が良いということになり、独身で時間のある私が入会することになった。

 その会員達は男性ばかりで、ほとんどが既婚者だった。
 私は女性とはすぐに打ち解ける方だが、男性だと何を話したら良いか分からないタイプだったので少しためらいもあった。
 でも、入会すれば何とかなるだろうと気軽な気持ちで入会した。

 だが、いざ男性達の中に入ってみるとどうして良いか分からず、私だけ皆から浮いている気がした。
 そんな中で私に積極的に話しかけてきてくれて親切にしてくれたのが、のちに夫となるK男だった。

 K男は私が配属された委員会の委員長であり、既婚者で、2歳の子供がいた。
 当然、お付き合いするような相手としては見ていなかったが、話しやすくて、面白くて、頭が切れるK男に、他の会員達とは違う興味と親近感を抱いていた。

 青年会議所に入会してから3ヶ月ほど経った頃、あるイベントにその委員会が協力することになり、その説明会に私とK男の二人で参加した。
 そして、その帰りに二人でお茶を飲みながら、そのイベントについて話をしていた。

 すると突然、「良かったら、またこんなふうに二人で会いたい。付き合って欲しい」とK男が言った。
 私は驚き、眉をひそめた。

——  既婚者のくせに、この男はいったい何を言ってるんだろう。私に愛人になれと言っているのか。こんな人だとは思わなかった。そもそも青年会議所というのはそういう人達の集まりなのか……

 私は訳が分からず、眉をひそめたまま、しばらく黙り込んでいた。
 すると、K男は焦った顔をして言った。

「ああ、ごめんなさい。突然変なことを言って…… 実は、誰にも言ってなかったんだけど、俺は離婚してバツイチなんですよ。それを先に言わなきゃいけませんでした。あなたみたいなに人に二度と出会わないんじゃないかと思って、思わず言っちゃいました」

 それで納得した。それまでにも『ひょっとして私に気があるのかも』と思うK男のそぶりが何度かあったのだが、そういう事だったのかと思った。

 そして、お付き合いが始まった。もちろん、周囲には黙っていた。
 後にK男から聞いたが、私と二人きりになるために私をそのイベントの担当にして、二人でその会議に出席したそうだ。

 付き合い始めて3ヶ月後には、K男に結婚しようと言われた。

 正直、嬉しいとは思わなかった。むしろ困惑した。
 まだ付き合い始めたばかりだったし、K男は離婚したばかりのはずだった。
 それに、もっと様子を見る時間が欲しかった。
 だが、K男は私が二つ返事で承諾するものだと思っていたのか、返事を訊きもしなかった。
『責任をとってちゃんと結婚するからね』という口調だった。

 私は数日間、困惑していたが、しだいに思い直した。

 K男はバツイチだったが、魅力的で、会っていると毎日楽しかった。3歳の私に、これ以上の贅沢があるだろうかと思った。
 それに、そもそも、結婚なんてものは勢いが必要であって、考え過ぎると永遠に出来ないものなのではないか。
『まだ早いからもう少し待ってくれ』などと言っていたら、お互いの気持ちがいつすれ違うか分からない。
 相手がその気になってくれているのであれば、思い切って結婚した方が良いのではないか。
 そんなふうに考えた。

 それに、今までお付き合いはしたことがあっても、結婚まで話が進んだことが無かったので、積極的で強引なK男の気持ちが嬉しかった。

 前妻との離婚原因については、性格の不一致や、前妻が口うるさい事や、K男の両親と仲良くしてくれなかった事などを挙げていたが、私は深く追及しなかった。
 K男はあまりその事に触れて欲しくない様子だった。

 私はプロポーズをされて、ただただ浮かれていた。

 私達は出会ってから約一年後にスピード結婚をした。

 周りはK男が離婚していたことすら知らなかった人が多く、驚いていたようだった。
 私の両親や姉は、K男がバツイチである事が気にならないわけではなかったようだが、30代半ばの娘なのだから、贅沢は言ってられないし、もう自分の責任で結婚すれば良い、と思ってくれたようだった。

 結婚生活は幸せだったと思う。
 最初は6畳2間の古いアパートに住んでいた。
 夫は前妻との間の子供の養育費を払っていたが、二人で働いていればお金には困らなかった。
 私達の間に子供はなかなか出来なかったが、その代わりに自由で楽しい時間がたくさんあった。

 その頃の夫との楽しい思い出を挙げたらキリがない。
 結婚当初はほとんどテレビを点ける必要がないほど、二人であれこれ語り合った。
 夫と会話をするのが毎日、楽しくて仕方がなかった。

 夫は美味しいものや雑貨が好きで、週末になるとよく二人で買い物に出かけた。
 夫は特に食べる事が大好きで、太り気味でもあったのだが、お気に入りの韓国料理店やタイ料理店に行き、二人でお酒を飲み、近くのビジネスホテルに泊まったりすることもあった。
 夫は東京に行くのも大好きで、半年に一度は二人で東京に遊びにも出掛け、美味しいものを食べたり、買い物を楽しんだ。
 美味しい物を食べた時の、『うーん』と言って目をつぶる夫は、本当に幸せそうだった。

 お互いに全く不満が無いわけではなかったと思う。時々、喧嘩もした。
だが、喧嘩を長く続けることもなく、必ずその日のうちに仲直りをしていた。
 周囲からは『いつまでも新婚みたいに仲が良いね』と言われていた。

 夫は全くイケメンではないし、背が低くて、ポッチャリしていた。
だが、頭が切れて、頼り甲斐があって、器用で、知識も豊富で、アイデアがあって、行動力があって、そして面白い夫は私の自慢だった。

 夫は青年会議所の活動を驚くほど精力的にこなしていた。
 テレビのスーパー戦隊風の地元ヒーローを企画し、ヒーローが身に付けるマスクなどを手作りしたり、ショーのシナリオを作ったり、音楽や音声を編集したりした。       

 その他にも、灯りをテーマにしたイベントを企画運営した。
 そのイベントは年々盛り上がりを見せ、各団体や、地元の商工会議所とも連携して、地元の一大イベントとなっていた。

 私達は不妊治療を五年ほど続けたのち、やっと男の子を授かった。
 夫は『子供は無理に要らないよ。二人で仲良く暮らしていければそれで良い』と言ってくれていたが、やれる事を全てやった上で、諦めようと思っていた私を理解してくれ、色々と協力してくれた。
 子供が産まれると、一軒家を建て、移り住んだ。

 息子が幼稚園に入ると、同じクラスのママ達と仲良くなった。
晩婚で、しかも何年も子供に恵まれなかった私は、他のママ達よりもずいぶん年上だったが、それでも、ママ達が仲良くしてくれてとても嬉しかった。

 私はママ友達やその子供達を我が家にしょっちゅう招いた。
 次第にパパ達も仲良くなり、皆でバーベキューをしたり、集まって飲んだりした。とても幸せな幼稚園生活だった。

 しだいに夫とは、最初の頃のような恋愛感情は薄れ、なんでも夫を頼って、夫に相談してばかりの時期は終わり、私は私自身が興味のある事に時間を使うことが増えていた。

 でも、長年夫婦をやっていればそういう時期が来るのは当然の事で、お互いの趣味や時間を尊重できれば良いと思っていたし、夫のことは相変わらず人間として、パートナーとして大好きだった。
 息子が大きくなって家を出て、二人きりになれば、また関係が変化したり、恋愛感情を超えた人間同士の、あるいは夫婦の絆のようなものが築かれるものだと思っていた。
 よく見る老夫婦のように、寄り添って歩いたり、一緒に旅行などに行くのを楽しみにしていた。

 その夫が急死するなど、まるで悪い夢を見ているようだった。

——  やはり、私は何かバチが当たるような事をしたのだろうか……


 だが、バチが当たるような事をしていたのは夫の方だった。




 主な登場人物

(年齢等は2019年6月時点)


・N子(主人公であり、著者) 
 47歳の主婦。結婚15年目。
 実家が営む日本料理店でパートタイマーとして働く。
 背が高く、ツンとすましているように見られがちだが、おしゃべりでおっちょこちょい。
 20年近くパニック障害を患っているが、理解ある夫と可愛い息子に囲まれ、念願の一軒家にも住み、悪くない人生を送っていると思っている。

・K男
 N子の夫。N子より三歳年下の44歳。
 父親が経営する塗装業の会社に勤務。離婚歴があり、前妻との間に娘がいる。
 背が低く、ぽっちゃり型。細いタレ目でいつもメガネをかけている。
 街づくりに積極的に参加し、器用で知恵や行動力もあり、人に頼られると張り切る性格。 

・A子
 N子のママ友。 五年前に夫を心不全で亡くす。
 中肉中背。美人ではないが、女子力が高く、色気があるタイプ。
 夫を亡くして他の保育園に移った後も、N子を含むママ友達と交流が続く。
 2年前に50キロほど離れた自分の地元に引っ越す。

・S子
 N子のママ友であるとともに、N子の息子が通った幼稚園の副園長。
 小柄で細身だが、丸顔で、笑うと両頬に出るえくぼが可愛い。
 N子とは、小学校でも息子同士が同じクラスで、関係が深く、仲が良い。

・S子の夫
 婿養子。寺の副住職。背が高く体重もあり、体格が良い。
 K男に家のリフォームを頼むなど、N子やK男と家族ぐるみで仲が良い。



登場人物相関図

(年齢等は2019年6月時点)

相関図(note)


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