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無理をしている状態とは。


無理すんなよと言われても。


「無理したらあかんで」
「がんばりすぎないようにね」
「ぼちぼちやったらいいんよ」

よく周りから言われるこのお言葉たち。
みなさんはもらったことありますか?

無理してないよ〜
そんながんばってないよ〜
ぼちぼちやってるよ〜なんて軽く返すんですが、

内心は、いやどこからが無理してるって状態なん?
頑張りすぎってどういう状況なん?
ぼちぼちって具体的にどのくらい?
とまあ面倒臭い思考が発動しちゃうんです。


やらなあかん!
こうするべき!!
〇〇しなければならない!!

こんな語尾が脳内に引っ付いてきたら危険信号やなぁと今は思うんです。


無理をしている状態はどのような状態のことを指すのか。
それを言語化することができませんでした。
分かっていなかった、の方がニュアンスとしては近いかもしれない。

どこからが無理をしているになるのか?
定義していないものだから、無理しているかどうかの判断も自ずと曖昧になる。

側から見ると、無理をしている。でも本人にとってはマヒってて正直わかんない。だから気づけない。

このくらいのことすら、できていない自分はダメだ!と思っている節があるから、やらないといけないと思っているハードルがどんどん高くなっていくんだよね。

それを越えないと、何もできていないわたしになってしまうという恐怖が付き纏っているから。

わたしは無理をしているかどうかの判断は正直言ってしまうと、今も判断するのが難しい。

けれど、無理をしているという言葉を、無茶をしているという言葉に置き換えてみると、なんかしっくりときた。

わかりづらい例で言うと(いやなんで?)
フルマラソン走った後に、引っ越しの作業手伝うような感じ。
いやいや、筋肉休めて?
さすがに今やらんでよくない?
そら無茶苦茶やない?と。

これって往々にしてあるよなぁて思うんです。

朝からフルタイムで働きました。
トラブル続きで神経すり減っています。
昼休憩もろくに取れませんでした。
家帰っきたら空腹でくたばりそうです。
でももうパートナーも家路に着くそうで、夜ご飯作らないといけません。
胃がキリキリしそうな場面です。

ここで無理をするって言うのは、自分の心の声を一旦放置して、何も食べずに黙々とご飯を作っている状態というか、やらなければならない!!!と
自分に課している状態を指すのかなぁと。

ドッキーン。これ、わたしやーん?

そのことに気づいたわたしは、本当に本当に思い切って、パートナーに連絡を入れました。

要するに白旗を挙げたんです。

自分の腹は満たせたけど、相手の腹を満たすための用意までままならないというこの状況をとりあえず一旦、受け入れました。

不甲斐ない自分を許しました。

理想のようにできない自分を許しました。

今宵の夜ごはん用意が滞っておりまして、ご用意の確証できません、と。

パートナーは、残業終わりに買い出しに行ってかえってきました。申し訳ない気持ちはもちろんあったけれど、あそこで無茶をしていたら、、、

こんなにもがんばって作ったわたしのこと褒めちぎってくれー!認めてくれー!と言わんばかりの承認欲求おばけと化していたことでしょう。

おかげさまで、笑顔でパートナーを迎えて、買ってきてくれたものを軽く炒めて用意してあげることができました。
そうしたら、なんならありがとうという言葉まで頂いてしまいました。

わたしが、できない!って断ったことで、新たな余裕が生まれたのでしょうね。結果的に動けてるやーん!!とニンマリ。

あー、だるいな〜
ほんまはこうしたいねんけどな〜
〜しやなあかんよな
〜やらねばとかが語尾についてきたら要注意。

それは無理をしてる、無茶をしている入り口かも。

その気持ちを認めるまでは、伝えるまでは、
ほんとにめちゃめちゃ勇気いるけど、
(いや、ほんまにできひんの?
ちょっとがんばったらできるんとちゃうん?
とかすぐ自分いじめしたくなりがち)

言ってしまった方が、後が楽になるってことを学んだ。


できる時に、できることを、その都度やったらそれでええねんで。

じゃあ次はこうしよ〜って改善できる人たちなのだから。そのくらいで、丁度ええ。

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