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自分ファーストで生きるためにやめたこと


仕事では周りを優先しなさいと言われても、
自分の心を優先してもいいんだよ。


社会との関わりが深くなってくると、自分のことを優先するだけでは道理が通らない場面も出てきますよね。


それでもわたしは声を大にして言いたい。


もっと自分優先に生きていいんだよ、って。


言っちゃ悪いけども、
仕事の代わりも、子育ての代わりも、代えが効く。


わたしが元職場を辞める前だって、休職する連絡をした際、店長は「人手が足りないのに、、、ブツクサ」
まぁ仰っていた。当時は迷惑しかかけていない、、とそれはそれは落ち込んだけれど、いやいや診断名受けた相手によくそんな言葉吐けるよなぁとある意味感心している。

休職ひと月目は、体調報告の連絡入れるのだって一苦労だったし、人手不足やのに休んでるわたしって、、、と毎週報告日には体調不良だったなぁ。

けれど、職場はなくならなかったし、繁忙期を乗り切っていた。
一時的に負担を増やしてしまったのは否めないし、迷惑をかけていないとは思ってないけれど、なんとか回るんだと思う。


退職代行とか、宿題代行とか、代書屋とか、代わりにいろいろ請け負ってくれるところあるけれど、


わたしの人生を代行してくれる人は、いない。


わたしの人生を歩むことができていない状態で、誰かのために働く、動くってのは、土台のないところに、固まっていないコンクリートの上を歩こうとするようなもの。

サポートしてくれる人はいても、代わりを務めて
わたしの人生を歩んでくれる人はどこにもいないの。



わたしの体調△なのに、職場のスタッフの健康観察ばかりに気を取られていた頃、帰宅したら布団から起き上がることができなかった。

本当は英語の勉強に時間を割きたいのに、家の片付けをしなければならない!!と追い込んで、自分のことよりも家全体のことに意識を向けて動こうとしてしまったり。

少しだけあった余裕も、皆無になって、心は無になって、虚脱感がやってくる。

それが決してダメなわけではないけれど、こう問いたい。

その優しさのせいで、余計に苦しくなっていませんか?と。
たしかにに周りの人は助かるだろうし、救われる人も、ラッキーって思う人もいるだろうよ。
それで自分も元気ならいいんだよ?でもどうよ?
その優しさ振り撒いたことで、反動をもろに喰らってるやん。

疲れて布団から起き上がれないって、異常事態なのよ?
(うつになって人にこのことを話すと皆、口をあんぐり開けて驚かれる。わたしはその姿を見て驚くのだけれど如何でしょうか?)

自分のことは放っておいたままでいいん?
いつも後回しにしているやん。
心がそろそろ拗ねるで。

わたしのことも助けてよって心が叫んでるよ?
ねぇ、聞こえてる?聞いてあげて。
聞こうとしないと聞こえないくらい、ちいちゃい声なんやで。


自分のこと、もっと優先順位高くしてあげて。

がまんが積み重なって大噴火する前に、気づいてあげようね。

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