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サンクチュアリはユートピアではない【日々のこと】

最近、私のYOUTUBEには「サンクチュアリ」の宣伝動画が溢れている。Netflixのオリジナル相撲ドラマ。益荒雄旋風の動画などを観ていたせいでグーグルから相撲の興味ありと思われたらしい。実際に宣伝動画も沢山観てしまった。Netflixには加入していないので本編を観ることが出来ないのに「観ろ観ろ」と宣伝ばかりされています。

今日、その一つをタップする。ドラマのシーンのひとコマらしい。帰国子女で担当替えを喰らった女性記者が古株の相撲担当に喰って掛かっている。相撲のしきたりが異常であると。古株担当は台詞でこう返していた。

「あぁ異常だよ。ただな、その異常の先にしか見えてこない世界があるんだよ。」

私はどうもしきたりある世界に惹かれる傾向にあります。相撲に将棋、最近では少し落語、子供の頃に剣道に励んでいたせいかもしれません。世の一般から比べれば、その類の世界についての理解がある方だと思っています。一般の物差しでは測れない世界なんです。良きにつけ悪しきにつけ非日常的な世界。それが観る分には一般の人を惹き付ける魅力なのだとも思っています。ただ中でしか解らない難しいことがある。しきたりや慣習・伝統といった違う物差しで測っては、守りたいことがある。一般からすれば秤にすら見えないであろう異常で歪な形の物差し。でも、その歪さが故に一般の物差しほど簡単には、世の流れに合わせて目盛りの幅を変えるということが出来ないのです。

昨日、猿之助さんが倒れた。
私はまだ歌舞伎にはハマっていません。それでも歌舞伎もまたしきたり多き異常のある世界だと認識しています。猿之助さんの醜聞の方も読みました。一般でいえば当然アウト、一般でなくともアウト、昔の感覚でもアウトであることは理解しています。でも、その世界に生まれて、その世界に育ち、しきたり・慣習・伝統を守れと教育されてきた猿之助さん。それでいて新たな歌舞伎を試みて外の世界との橋渡しをも担っていた猿之助さんを、最新の一般的物差しだけで測ることには胸が締め付けられてしまう。擁護でも同情でもありません。ただ胸が締め付けられるという個人的な感傷です。

被害者の方には同情いたします。どの世界であろうとハラスメントが無くなることを私も望みます。でも非日常的な魅力を保ちながら一般的な世界にも合わせろという矛盾した理想を、当然の如く強いる主張には私は二の足を踏みます。サンクチュアリとは、そこに生れた者と関わった者、ただ観ているだけの者とでは、捉え方が全く違う世界なのです。

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