葛藤と優しさ
ひとりでいると、自然の優しさに気づけるなぁと思った。
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ここ最近、自分の容姿にとても自信がない。
周りの子は、自分と向き合って、きれいになる努力をしているのに、
わたしは、鏡を見る回数が増えるほど、自己肯定感が低くなってしまう。
そもそも、どうして急に、こんなにも容姿が気になるようになってしまったのか。
色んな要因があると思うけれど、
まず一つとして、自分に対してケアをする心の余裕がなくて、
その余裕のなさ具合が、鏡越しの自分を見るたびに浮き彫りになっていくような気がして、
不安なことがたくさんあると、より濁って見えて…。
それでも、少しは勉強をしようと思い、YouTubeで美容系の動画は見てみたのですが、
自分の顔を気にすればするほど、
いざ友達と会ったとき、脳内にうっすらと、1人で鏡と向き合っているときの、疲れている、そして老けている顔が思い浮かんでしまって、
自分で自分のことを、気持ち悪いと思ってしまう。
せっかく友達と話しているのだから、楽しいことに目を向けたいのに。
少し、恥ずかしいことを書こうと思います。
容姿が気になりはじめてしまった、もう一つの理由。
最近、とあるきっかけで、「あくねこ」というゲームを入れました。
そして、びっくりしたことに、どんぴしゃな推しができました。
執事が、生活に寄り添って、「(主人様は)すてきですよ」だとか、「無理はなさらないでくださいね」だとか、優しい言葉をかけてくれるゲームなのですが、
そこで、わたしは、本当はすごく愛されたかったんだなぁと気づいてしまいました。
全然、すてきじゃないのに、「すてきですよ」と声をかけられる。とても大切にされる。
自分とのギャップの苦しさがあれど、耳心地のよさで、何度も聴いてしまいます。
「愛されたい」は、本当に受け身だから、まずはきれいだなと思えること、好きだなと思えることを見つけていこうと思っていたのに、
声をかけられて嬉しくなっている自分、本当は愛されたいこと、に気づいた途端、自分の容姿がどう見られるか、にとても神経が引っ張られるようになってしまった。
上手いとは言い難いけれど、丁寧な心のこもった字のように、
美人にはなれないけれど、でも、優しく自分をケアできるようになりたいな、と思う。
自分の心は醜くて、でも、道端にはたんぽぽの花が咲いていた。
風に木は揺れる。
雨の降る音が聞こえる。
心の葛藤を抱えながら、目にうつるものに、言葉を宛てていったら、気持ちが静まっていく。
受け入れる気持ちをー。
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