最近の日々を振り返ってみたいとおもう🌿
研究に集中するために地元に帰ってきて、3週間が経った。札幌に帰るまで残り1週間…。
5月も終盤に突入し、内心とてもヒヤヒヤしている。
帰省はじめの1週間は、地元の伝統的な祭り《日高火防祭》に参加した。
調べたところ300年もの長い歴史があり、岩手県指定無形民俗文化財にも指定されているらしい。幼い頃から毎年見に行っていた地元の祭りに、今年は出る側として参加できてとても感慨深かった。
そこで何年か振りに再会した小中の友人たちには、たくさんの良い刺激をもらった。
成人式がコロナ禍で開催されなかったこともあり、中学校の卒業式ぶりに再会した人も居た。良い意味でみんな変わっていなかった。
社会人6年目・2年目のひとたちの中に
まだ学生を謳歌している自分がいると、社会にひとり置いてけぼりをくらった感覚だった。
いろんな感情が渦めく、学生生活最後のGWだった。
わたしの日課
実家に帰ってきたときのわたしの毎日の仕事は、今年15歳になる福(ふく)の散歩である。🐕💨
人間でいうと75歳くらいらしい。が、そんなの嘘かと思うほど元気。
あまりにも強い力で引っ張られるので、毎回わたしが転んでしまいそうだ。
そんな福の散歩タイムはわたしにとって、とても大切な省察の時間。
研究のことや就活のこと、いろんなことを考えながら歩く。
その日その時の空気、匂い、音、色、風景、自分の感覚を全て研ぎ澄まして散歩する。
なんといっても、いまはわたしが大好きな田植えの季節。🌾✨
この季節は夕方の散歩がお気に入り。奥羽山脈に沈んでいく夕日に照らされながら田んぼに囲まれた道を福とふたりで歩く。日が沈むと同時に、どこからともなく声を揃えて合唱をはじめるカエルや鈴虫たち。
水が張られている田んぼに映る、夕日がつくり出す空のグラデーションが大好きだ。
こんなふうに、自然の中で生かされている感覚を自分の体で目一杯感じることができる瞬間が大好きだ。
私にとって「写真を撮る」ということ
福の散歩中に「わたしって、写真撮らない日はほとんどないな」と、ふと思った。無意識に毎日なにかしらの写真を必ず1枚は撮っている。
なぜだろうか
…
そんなことをフワフワと考えながら散歩していると、私が写真を撮ることの根底にある理由は、”忘却が怖いから”だと気がついた。
その日がどんな日でも、その時生きていた自分を忘れたくない。すごく忘れっぽい私は、写真を撮るという行為は自分にとってすごく大切な行為だった。
たとえ変わり映えのない一日でも、数年後にその日の写真を見れば「この日はこんな日だったんだな」と過去の自分を振り返ることができる。写真一枚で、当時の自分の思考や感情を取り戻したり立ち戻ったりすることができる。
私にとっての「己と向き合うことができる場所」は私の写真フォルダだったのか!と気がついた。
未来のわたしのために、これからもいっぱい写真を撮って残しておきたいと強く思った。写真は、わたしの財産だ。
最近自分が頭の中で考えていたことをつらつらと書いただけですが、
文章を書き始めたらもっと書きたくなったので近々また更新します💭
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?